【6/9】実作講座「演劇 似て非なるもの」第五期 初日オープン授業 ゲスト:角田俊也(美術家)




今期は6月9日から始まります。
ゲストに美術家の角田俊也さんをお迎えして、
集まったみなさんで話をするということから始めたいと思います。

この初日に限り見学/参加も受付ます。

なぜ、演劇講座の初日に美術家である角田さんをお迎えするのか。

昨年、春に出版された『芸術の授業』(弘文堂)という本に文章を書きました。
編著者である文化人類学者の中村寛さんから与えられたタイトルは「つくったものはどこにいくのか ――<表現そのものを考える>」でした。興味深いけれども手に負えないテーマで、なかなか書き進められませんでした。自分自身の近作について振り返りながら表現について改めて考えてみるということが必要でしたが、あまりに書けないので、自分自身のことについては書けなくても、自分が興味を持っている人についてなら書けるのではないかと思い、何人かの人について書いてみたりしました。そのひとりが角田さんについてでした。自分がやっていることを自分自身でことばにするというのは、じつはとても難しいことです。他人のことはよく見えるけれども、自分のことを理解出来ているという人は存外少ないのではないでしょうか。なぜ角田さんについて書いてみたのか。それは角田さんについて考えるということが、表現というものの核心に、ひいては生きていくということに関係があるという直感でした。

下記は長いですが、その時に書いた文章です。

角田俊也さんという美術家がいます。彼は美術家ですが音を扱う作品を作り続けています。その多くは録音であり、フィーイルド録音です。フィールド録音というと思い浮かべるのは自然の音などを豊かな臨場感で記録したものだったりすると思いますが、そういう空気中を伝わってくる音ではなく、物体の振動音だったりします。例えば港の近くにあるコンクリートのブロックの振動音を同じ場所に休みのたびに1年くらいかけて録音したりしています。物体には固有の振動音があり、それは環境によって変化しているのです。そしてそれは彼の美術作品なのです。その角田さんが以前、トークイベントで話されていたことです。当時、カメラに凝っていたそうですが、ふとご自宅の洗面台の鏡を見ると外の景色が写っていて、それをカメラで撮影しようと、その風景にフォーカスを合わせたら無限大だったそうです。その時に、角田さんは考えました。もし現実にはカメラと鏡の距離は眼の前にも関わらずフォーカスが無限大であるならば、現実には出会うことの出来ない遥か昔の哲学者の書いた本を読むということは、現実にその哲学者に出会った、体験したと言えるのではないかと。角田さんは、また「こめかみ録音」による作品も作られています。風景というのは、人間が見て初めて風景となります。風景というのものが自然に存在しているわけではありません。では同じ場所で違う人間が観た風景は同じものなのだろうか?それはきっと同じではないだろう。だが、しかし同じような体験をしてきて同じような知識、記憶、考え方を持った人間であれば、同じ風景を観ていると言えるのではないか。そこで角田さんは子どもの頃から親しくしている友人とある場所に行き、横並びに坐り、同じ風景を眺めます。そこでそれぞれの左と右のこめかみにマイクをひとつづつ張りつけ録音をしました。それが「こめかみ録音」です。なんで「こめかみ」なのかというと、それは直感であると言います。そして「こめかみ録音」はその実験の記録なのですが、その音自体は実験結果を示すものではありません。角田さんは学識豊かな人でかなり論理的な人だと思います。だけど、こうした飛躍がとても面白く思えます。さきほどの写真のフォーカスの話も、「こめかみ」録音の話も、角田さんは、最終的には「信じるしかない」と言います。これはひとつの真理であると思います。

角田さんとお話しながら、表現するということについて、それがどういうことなのか、あらためて考えてみたいと思います。考えるというか、思いを馳せるというか。

(生西康典)


講 師:生西康典
ゲスト:角田俊也(美術家)
日 程:2017年6月9日(金)
時 間:19:30〜22:30
参加費:無料
会 場:美学校 本校(地図
    東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F

ゲストプロフィール


角田俊也 Toshiya Tsunoda
1964年神奈川生まれ 東京藝術大学美術学部美術研究科修了
94年頃より空間と意識の関わりを主題とする制作を行う。主にフィールド録音や振動を扱った展示作品を制作する。これまでに国内外のレーベルから13枚のアルバムを制作。

▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。