講師インタビュー/中ザワヒデキ(中ザワヒデキ文献研究)



インタビュアー:皆藤将 2010年6月2日美学校にて

皆藤 「中ザワヒデキ文献研究」についてお伺いしていきたいと思います。まずこの講座「中ザワヒデキ文献研究」では具体的にどのようなことをなさっているのでしょうか?

中ザワ 口上に書いてある通りです。「この講座は、美術家中ザワヒデキの膨大な自筆文献を受講生が読み解き研究の課題とすることを本人が積極的に推し進めるものである。中ザワがこれまで執筆してきた文章はその制作活動と密接に関わっており、自らの芸術理念をそのまま反映するものである。その多岐にわたる文章を受講生自身の個々の問題意識に併せて捉え直し、共に議論の場とすることを主な目的とする。」この通りです。

皆藤 私もこの講座の受講者なので、私の方から講座の進め方を簡単に説明しますと、中ザワさんが過去の自筆文献をコピーして受講者に配布し、それを受講者が読み、疑問点などをみんなで話し進めていく。という感じですよね?

中ザワ そうですね。

皆藤 たぶん何も知らない人が、Webの文献研究の紹介を読んで疑問に思うのが、今まで中ザワさんはどういった文章を書いてきたのかというところだと思います。ここにも書かれているように「中ザワがこれまで執筆してきた文章はその制作活動と密接に関わっており、自らの 芸術理念をそのまま反映するものである。」とあるのですが、具体的に今までどのような文章を書かれてきたのか、簡単に説明していただけますでしょうか?

中ザワ そうですね。いくつか方向性があって、まず方法主義という活動を2000年から2004年の暮れまでの五年間行っていて、その方法主義という芸術活動にまつわる文章を色んな雑誌等に書き散らしましたので、それらの山が一つある。それともう一つ「芸術特許」というプロジェクトを1996年から今年くらいまでずっとやっているんですけど、それは、僕は特許を取ったんだけど、芸術として特許を取ったというところがあって、それに関する文章群をやはりたくさん書き散らしてますので、それに関する文献群がたくさんある。さらに、僕は本を三冊出していて、それは美術史に関する本で、一冊目が1989年に出した「近代美術史テキスト」で、近代美術史テキストという名前だけど現代美術のテキストです。あとそれから2001年に出した「西洋画人列伝」。これはルネッサンスからウォーホルまでの画人伝というものです。そして2008年に「現代美術史日本篇」という、これは日本の現代美術史について書いた本で、この三冊を出してるんですけど、この三冊以外にも、美術史をネタにした文章をかなりたくさん書いていて、あるいは他の作家について書いた文章がかなりあって、それらも一つの山で、大きく分けて大体その三つくらい山はあるかなという感じですね。それで最初の二つは、方法主義というのは僕が提唱したものなので、僕の作品解説に被っている。あとそれから芸術特許に関しても、芸術特許自体が僕の作品ですので、それも作品解説に被っている。というところは分かりやすいと思うんですけど、最後の美術史についてなんで僕が書いているかというと、作品解説からは離れて見えるらしいんですけど、僕としては美術史について書いていることも、自分の作品解説として書いているというようなつもりがなければ、それらの仕事を引き受けてないんです。やはり自分の作品も美術史の流れの上に作っているつもりなので、美術史について書くのも、他人のを書いているというよりは、他人のものを書いているという形を借りつつ、自分の作品解説にも被る、というかたちで書いています。なので最初の口上でですね、「中ザワがこれまで執筆してきた文章はその制作活動と密接に関わっており」というのは具体的にその三方向からも言えることです。

皆藤 方法主義と芸術特許と美術史の三方面が、主に中ザワさんが書かれてきた文章であって、それらは全て中ザワさん自身の作品解説に繋がっている。ということですね。

中ザワ そうですね。というふうに言いながら、それらにも入らないもので「バカCG」だとか色々あるのを思いつつも、現在の僕のプロジェクトとしてあるのはその三つ。方法主義はプロジェクトとしては終わってるんですけど、大きく分けるとその三つ、プラスその他ですね。その他としては初期の文章群で、ガロに連載していたものなどは思いついたものを書くみたいなものだったので、そうするとどの範疇にも入ってないけれども、それらがその内方法主義というものにまとまっていく元になるアイデアだったりだとか、のちの自分の制作活動に関わる文章を先に書いていることもあるので、そういったものもこの文献研究で読んでいっています。

皆藤 今期で四期目ですが、中ザワさんが書かれてきた文章の全体像は、どこまで俯瞰できるようになったんでしょうか?

中ザワ かなりです。四期目なので、半分以上はいってると思いますね。一期目を始める前は、本当に僕が今まで書いてきた文章が、その三冊の美術史の本を除くと全部書き散らしたままなので、どこに何が書いてあるか、どの文章とどの文章がどう内容的に繋がっているか把握できていなかった。なので第一期を始める前はとにかく自分でも分からないからやっていくということがあったんだけど、もう第四期なので、7、8割までいったんじゃないかなという気はします。

皆藤 では残りの2、3割を今後読んでいく?

中ザワ そうですね。あと本になったものに関してはちゃんと読んでないので、西洋画人列伝とか。そういうものを読むとすると、まだ結構あることはありますね。

皆藤 先日上梓された「芸術特許」という740ページある本も、今期読んでいくのでしょうか?

中ザワ そうですね。これをちゃんと読むとなると大変なんだけど、とりあえず最初に読む文としては、レクチャーをまとめた箇所が100ページぐらいあるので、それを最初に読んでいこうと思っています。それと彷書月刊についてもここ述べておきます。去年、彷書月刊という雑誌で「美学校 あれから十年」という特集が組まれ、そこに僕も寄稿していまして「このあきらかに駄目な時代に」というタイトルで文章を書いているんですけど、これも是非入手して読んでいただけるといいですね。

皆藤 この前松蔭浩之さんにインタビューをさせていただいたんですが、松蔭さんもその特集に書いていらっしゃって、そこで書いている文章を引用されたりしてとても面白くインタビューさせていただきました。中ザワさんの文章も、先週文献研究で読んだばかりなんですが、それを読むと美学校というものがとてもよくわかります。

中ザワ それと僕のこともよくわかると思うし、僕が今やろうとしていることもわかると思うし、あとそれから僕が何を”暗に願っている”かとかね(笑)。そういうことも書いてありますしね。そこのところちょっと読んでみます。「だが各期の初めには毎回次の意味のことを口頭で伝えることを忘れない。『いくつか美術史書は出しているものの、私の著作文集がまだ出ていない。膨大な分量を書き散らしてきたが、どれだけあるのか自分でも見当が付かない。この講座をとおして全貌の見取り図を描き、さらには、将来編集者となって私の著作集を出してくれるひとが受講者のなかから現れるのを暗に願います。』」とそういうことなので、この講座を受講してそういう人が出ることを暗に願うと同時に、この彷書月刊の僕が書いた最後の文章も読み上げます。「本稿読者のなかから本講座の受講者が現れ、将来編集者となって私の著作集を出してくれることを暗に願います。」と暗に願ってます。どうやらこの本稿読者の人は誰も来てくれなかったみたいで、非常に残念なんですけど、本webをご覧になった皆様のなかから本講座の受講者が現れ、将来編集者となって私の著作集を出してくれることを”暗に願います”。ということにさせていただきたいと思います。

皆藤 彷書月刊は美学校に置いてありますので、興味のある方は美学校に来て読んでいただけたらと思います。それともう少し質問を続けさせていただきたいと思います。中ザワヒデキ文献研究の魅力ってなんでしょうか?

中ザワ 俺の魅力?(笑)じゃなくて講座の魅力ね。そうですね。話が多岐に渡ると思うんですね。青信号の話が出たら、そこから色彩論の話までいったりだとか、あるいは青信号といっても本当は緑色なのに青信号なんだけど、最近本当に青い信号が日本では増えてるぞとか、でそれはシニフィエよりもシニフィアンの優位なのだみたいなことで、それは言葉優位ということであるから、「方法」は残る。と、そういったように話がどんどん展開していきますので、そこが逆に面白いかなと。自分自身もしゃべっていて面白いし、受講者の質問から話が膨らんでいくのも面白いですし。

皆藤 私がこの講座の魅力に思うところは、まず単純に中ザワさんの書く文章がとても面白くて、それを毎週読んでいけることが魅力だと思います。毎週新しい発見があって、話が多岐に渡りますし、特に美術に関する文章は、中ザワさんの美術に対する独自の考えがあって、とてもオリジナリティのある文章だと思うので、それが面白いなと思います。新藤さん(受講者)とかいかがでしょうか?

新藤 どうでもいい話ですが、暗に願いますと言っているくせに堂々と言っちゃってよかったんですかね?(笑)

中ザワ まあ、方便ですかね(笑)。

皆藤 平間さん(受講者)は、この講座についてどう思われますか?

平間 とにかく来てみるべき!

皆藤 ありがとうございます(笑)。

中ザワ あと聞いていて思ったんですが、講座ということになっているんだけど、僕はあまり講座のつもりじゃないんですね。何かを教える気が全然ないんで。それも彷書月刊に書いてあるんですけど、僕自身しゃべっておかねばということをしゃべっていて、聞き役もいるぞありがとうみたいなところがあって、なので僕は教えるというよりも自分でしゃべりたいことをしゃべってるという感じで、聞いてくれる人もそれを聞きたかったり、むしろ自分から質問してきてくれたりだとか、そんな感じで、雑談、時にディベートだったりするのが実情かもしれない。もちろん文献を読みながらですけどね。

皆藤 時には半田さん(受講者)の面白い話も聞けたりと。

中ザワ そうですね。非常に貴重な話ですよね(笑)。貴重な受講者がたくさんいる(笑)。僕から見たこの「講座」の魅力は、受講者に変わった人が多いってことですかね(笑)。素晴らしい反応がたくさんあって面白いです。

皆藤 ありがとうございます。中ザワさんと美学校の出会いを教えていただけますでしょうか?

中ザワ 最初は小沢剛さんや会田誠さんの講座のピンチヒッターとして代行で来ていまして、2000年から2001年にかけて数回ですね。その時に藤川校長から中ザワさん是非講座を、ということになって色々な成りゆきがあって、2007年から文献研究が本格的に始まったということですね。2002年にも方法主義宣言というタイトルの講座を三ヶ月やったこともありましたね。

皆藤 松蔭さんも小沢さんのピンチヒッターで初めて美学校に来たという話をこの前お伺いしたんですが、私は小沢さんと直接お会いしたことがなくて、小沢さんはどういう方でどういう授業をされていたんでしょうか?

中ザワ 講座名は「トンチキアートクラス」です。70年代からの美学校の伝統とはかなり違うノリだったんじゃないですかね。「トンチキ」とかいう言葉が出てくるあたりも。

皆藤 「このあきらかに駄目な時代に」という謳い文句の広告が続いていた時に「トンチキアート」と。それが2000年からで、ちょうど藤川さんが代表になられて小沢さんを呼んできた。そしてその延長に中ザワさんが続いていくという感じでしょうか。

中ザワ そうですね。小沢さんのおかげです。

皆藤 初めて美学校に来た時の印象はどういうものでしたか?

中ザワ けど僕はその前から美学校についてはナベゾウの文章とかで知ってはいたので、まあこんな感じか(笑)という印象ですね。元々学校だとは思ってなかったけどやっぱりこんな感じかと。あと神田神保町らしい感じですね。僕は「ガロ」に連載していた時があって青林堂の雰囲気とか知ってますので、美学校もきっと青林堂の雰囲気と似ているに違いないと思ったら、本当に似ていた(笑)。

皆藤 青林堂もこんな感じだったんですか?

中ザワ 同じですね(笑)。「木造モルタルの王国」という青林堂史の本が出てますね。木造モルタルで歩くと床が軋むみたいな。

皆藤 一緒ですね(笑)。

中ザワ 美学校も移転前はもっと恐ろしかったんですよね。ナベゾウの文章に書いてあるけど、美学校に入学しようと思って、訪ねたところ、そのあまりに急な傾斜の階段と暗さに恐れおののいて、出願を止めたとか何とかそういう人もいるみたいなね。

皆藤 今も若干ありますけどね(笑)。では美学校って何だと思いますか?中ザワさんの美学校に対する印象と言いますか、美学校とはみたいな感じでお話しをお伺いできますでしょうか。

中ザワ 学校じゃないですよね。生徒と先生のつもりで来ている人もいるかもしれないけど、僕はそうじゃないし、文献研究に来てくれている人もそう思ってないだろうし、それと美学校前校長の今泉省彦さんの文章で「最高の教育とは教えぬ意志を持たぬものから必要なものを盗ませるということになろうか」というものがあるので、教育機関じゃないと思ってますね。むしろそこで安酒と安スナックを買ってきて飲み始めたという感じの方向性の方が本質だと思います。あとそれと文献研究の魅力をもう一つ。皆藤さんが時折手前の包丁料理を披露してくれます(笑)。これも魅力ですね。

皆藤 恐縮です(笑)。ではこれで最後になりますが、このインタビューを読んで、文献研究に興味を持ってくれた人に一言お願いします。

中ザワ そうですね。もう一つ美学校の特徴は、60年代、70年代からの歴史を持っているということなんだけど、例えば赤瀬川原平さんが書いた「東京ミキサー計画」という本があって、それはハイレッドセンターの記録についての本なんだけど、その「東京ミキサー計画」を面白がって読む人は、やっぱり美学校に来なければいけないのではないかと思います。歴史としてはそういうところと繋がっていて、ハイレッドセンター等の歴史と繋がっている学校だっていうところは未だにあると思う。あとそれから、さっきも話に出た小沢剛さんですけど、小沢剛さんが何で2000年から抜擢されたかのもう一つの理由は、もう一つの理由じゃないかもしれないけど、小沢剛さんが中心でスモールビレッジセンターという活動をしていたことがあるんですね。僕もそこに関わっていたことがあるんですが、スモールビレッジセンターというのは、「スモール=小」が小沢剛さんで、「ビレッジ=村」が村上隆さんで、「センター=中」中村政人さんで発想されたけど実質的には中ザワヒデキで僕になった。そういったグループがあって90年くらいに活動したんですけど、それ自体が60年代のハイレッドセンターの焼き直しというか、現代に再び、というところがあったので、なので美学校に来るとそういった流れと関わることができるというようなところもあると思います。

皆藤 今日はどうもありがとうございました。

Nakazawa Hideki

▷授業日:隔週水曜日 19:00〜22:00
美術家中ザワヒデキの自筆文献を受講生が読み解き研究の課題とし、本人が積極的に推し進める。芸術理念を反映している多岐にわたる文章を、受講生自身の個々の問題意識に併せ捉え直し、共に議論することを主な目的とします。