【イベントレポート】特別講座「美術館は静かにどこへ向かうのか」第三回「これからの美術館との付き合い方」


文=青木彬 写真=皆藤将


今回の「特別講座 美術館は静かにどこへ向かうのか?」の企画を担当した青木彬です。昨年の清里現代美術館の閉館の際に感じた問題意識を少しでも多くの人と考えていきたいという思いから始まった特別講座もいよいよ最終回。

まさに“閉館騒動”の渦中である神奈川県立近代美術館館長である水沢勉さんをお招きして、神奈川県立近代美術館(以降、神奈川近美)のこれまでの歩み、そして水沢さんのこれからの美術館像についてお話を伺いました。

はじめに、水沢さんから本企画の最終回にご登壇いただいた理由をお話いただきました。

1951年に建てられた鎌倉館は、神奈川県と鶴岡八幡宮の借地契約期間の満了によって更地になってしまうという不安が以前からありました。しかしそれは建築保存の声であって、本来美術館は建物と活動、コンテナとコンテンツが一体となって初めて美術館としてのプレゼンスを持つもの。神奈川県は予算等の理由からコンテンツとしての美術館を継続しない方針を提示し始めましたが、その実態は1年前になって漸くみんなの目にも見えてきた。今回の様な機会を捉えてはその現状についてお話しなければといけないと思った。

更に伝説の美学校にも訪れてみたかったのも理由のひとつとのことで、穏やかなムードから神奈川近美の怒濤の60年の歩みへ突入します。

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スライドを示しながら講義をする水沢館長

まずは鎌倉館の開館(1951年11月17日が特別招待者向けのオープン)当時のお話。当時は美術館1階部分を囲うフェンスは無く、美術館スペースを通り抜けることができたそう。しかし未だに占領下でもあった当時は様々な混乱があったために庭園と美術館が一体となった構想は残念ながら変更されてしまいました。そもそも開館時は博物館法もできていませんでした。そんな中、アジアの極東の敗戦国に作られた近代美術館はまさに人々にとっての復興のシンボルでもあったはずです。

更に、鎌倉館を設計した建築家 坂倉準三と二代目の館長である土方定一は神奈川近美を語る上で欠かせないお二人。コルビジェの元で建築を学んだ坂倉は1937年パリ万博での日本館の設計でパビリオン賞を受賞。戦後間もない頃から古美術だけでなく同時代美術を展示する美術館の必要性を唱えた土方。同郷でもあった二人の尽力もあり、開館当初は1年で22回も展覧会をやっていたそうです。戦後の混乱の中にあっても、如何に文化的なことに飢えていたかが伝わってきます。

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MoMA NY メインファサード 1939年

話は世界の近代美術館へ移ります。1929年に誕生したニューヨーク近代美術館は移転を繰り返し、1939年にはモダンなファサードに身を包み、現在の敷地の一部である区画にオープンしました。更に1942年にはパリにも国立近代美術館が誕生。そして1951年に神奈川県立近美が誕生。なんと鎌倉館は世界で3番目の近代美術館でもあるそうです。

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神奈川県立近代美術館 葉山館 2003年

そして1987年に別館、2003年に葉山館が開館します。公立の美術館が建てられる際、公平性をきして2館目は中心地からはずれることが多いのが、神奈川は様々な事情があり湘南地域に集中しました。しかし、それがこれからの美術館の運営を考えると結果的に良かったと思っていると語る水沢さん。 都市集約型ではなく、今後の美術館は地域に根付いた文化を発信していく装置として機能していく必要があると話を進めます。

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イサム・ノグチ『こけし』

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ゴッホ複製展 1950年代 横須賀刑務所

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内藤礼展 展示風景《恩寵》(2009年)と平家池

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アントニー・ゴームリー《二つの時間》2011年のプロジェクト 鋳鉄 葉山館庭園

1952年秋に開かれた『イサムノグチ展』は、戦後同時代美術を発表する場がないことを嘆いていたイサムノグチにとっても待望の個展となりました。 そしてルノアール、セザンヌ、ゴッホらの作品の複製展を横須賀刑務所で展示するという試みも。現在では一般的となったアウトリーチ活動も既に始まっていたそうです。

鎌倉館に設置された内藤礼「恩寵」を、まさに自然の中にある美術館だからこそできた作品の好例として紹介していただきました。こうした展示は、都市型ではない美術館ならではの魅力だとして、今後は規模の大小を問わず、その地域の特性を活かして、そこに住む人々のプライドを高め、活動を持続するとは重要だと語ります。

しかし、地元住民とのラディカルな関わり方については課題が見つかったプロジェクトも。アントニー・ゴームリーの作品は海上に突き出た石に設置する予定だったものが、地元住民らの反対によって最終的には美術館敷地内に設置されたそうです。

「土方さんたちが残したものの大切さが検証されて、しかるべき人間がそこで何かをすれば、持続する可能性もゼロではない。歴史を見直して学ぶべきことを探し出したい。」と約60年の積み重ねをさらに未来へ繋げようと美術館運営に取り組まれています。

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質疑応答の様子

質疑応答では、連続して講座に参加している方から財政状況をはじめとする鋭い指摘もありました。そして鎌倉館の様な美術館の歴史をどう伝えていくかという質問には、文化施設は時間をかけて熟成するものであり、継続的な活動の中でディープユーザーを絶対に手放さない努力をすることが大切だと語ります。

まだ具体策はないけれど、今ある施設を大切にして、横の繋がりを作る事で美術館を支えてくれる浮力を如何に形成するかが重要。美術館ユーザー自身が美術館を支えているんだという意識を形成することが課題になってくる。そして美術館として購入予算を確保し、コレクションを持つことも欠かせないことだと思います。(水沢)

現在、鎌倉館は、神奈川県と鶴岡八幡宮との借地契約期間の満了によって既に閉館が決まっています。2016年4月以降は葉山館と鎌倉別館の2館体制での運営になるとのこと。日本で初めての近代美術館である鎌倉館は約60年の活動に幕を下ろすのです。

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現在開催中の展覧会「鎌倉からはじまった。1951-2016」【PART1:1985-2016 近代美術館のこれから】(6/21まで)

美術館は静かにどこへ向かうのか?

その答えは決して3回の講座では出す事はできません。しかし、表現規制や閉館という状況をただ傍観せず、自分達の問題として関わるための場として今回の特別講座を企画しました。 第3回の最後には本講座を企画するにあたって大変共感した水沢さんの文章を紹介させていただきました。

美術館は、そんなとき、なぜ必要なのでしょうか。答えは意外に簡単なのかもしれません。自由に、検問を受けずに(あるいはかいくぐって)、すぐれた造形表現に地域や世代をつないで出会うことのできる場。時間と空間の制約を限りなく越え出る可能性を宿したもの。そのためには持続性が必須条件でしょう。喪失の絶望に負けないために。(神奈川県立近代武術館HP 館長ご挨拶より

避けがたい天災から個々人の抱える不安、私たちにはどうしようもないことに出会ったとき、芸術は生きるよすがであるはずです。それは私たち一人一人の問題であり、その一人は美術館で働く学芸員でもあり、また県庁の職員でもあるのです。

そこでは“美術(館)”と私たちに隔たりはありません。
微力ながらこれからもそんな声をみなさんと一緒に発し続けようと思います。

神奈川県立近代美術館 展覧会情報
現在、鎌倉館では2016年にかけてこれまでの鎌倉での活動を振り返りながら3期に分けてコレクションを紹介していく展覧会を開催中です。
「鎌倉からはじまった。1951-2016」
【PART1:1985-2016 近代美術館のこれから】4月11日(土)〜6月21日(日)
【PART2:1966-1984 発信する近代美術館】7月4日(土)〜10月4日(日)
【PART3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生】10月17日(土)〜2016年1月31日(日)
その他詳細は、展覧会のサイトをご参照ください。

 

ライタープロフィール


青木彬

青木彬(あおき・あきら)

1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコースにて芸術学を専攻。在学中に「ひののんフィクション」「川俣正TokyoInProgress」などのアートプロジェクトの企画・運営に携わる。メインストリーム/オルタナティブを問わず、横断的な表現活動の支援を目指す。これまでの企画に「うえむら個展 オルタナティブ日暮里」(2014)、「『未来へ号』で行く清里現代美術館バスツアー!」(2014)、「特別講座 美術館は静かにどこへ向かうのか」(2015)がある。