美学校史覚え書き


以下は、2014年に開催されたオールナイト上映会「第四回ハイロと美學校」のパンフレット掲載用に、事務局の皆藤将によって書かれた「美学校史覚え書き 美學校の刻〜誕生から今まで」を加筆修正したものです。引用元などの注釈は割愛されています。

なお、2019年8月に発刊した当校編・著による書籍『美学校1969-2019: 自由と実験のアカデメイア』にて、本項を大幅に加筆修正した美学校史を掲載しております。書籍は全国の書店や、アマゾンなどの通販でお買い求めいただけます。是非お手にとってご覧ください。

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書籍に掲載されている当文章が文化庁アートプラットフォーム事業の翻訳文献に選定されました。英訳はWEBサイトにて閲覧可能です。 https://artplatform.go.jp/ja/resources/readings/R202234 (2023年4月)

美学校創立


美学校は1969年に現代思潮社によって「現代思潮社企画」として新宿区若葉町に創立される。現在まで変わらない虫のような独特なロゴは、初年度に「絵文字 花文字」課程を受け持つ赤瀬川原平によるデザインで、同じく今も使用されている山羊と羊が合体したようなマスコットは、野中ユリがドイツの古い雑誌からコラージュの素材として取って来たもので、それを中西夏之が今泉省彦に似ているとのことでマスコットとしたそうだ。

美学校の創立初年度は、まず1969年2月に中村宏と中西夏之による二つのアトリエと今泉省彦による表現論講義が先行してスタートし、続いて4月から技能課程全7課に加え、多数の講師陣による講義がスタートする。技能課程の7課は次の通りだ。図案 模様(講師:木村恒久)、木刻 面打(講師:小畠広志)、絵文字 花文字(講師:赤瀬川原平)、硬筆画 劇画(講師:山川惣治)、細密画 博物画(講師:立石鉄臣)、模写(講師:藤田吉香)、漫画(井上洋介)。他にも小口木版、解剖図、刺青、器械図などアングラ感漂う講座の開催が検討されていたようである。ちなみに、「漫画」の講師は当初つげ義春にオファーしたそうだが、つげが一人ではなく複数で講師をやりたいと申し出たため、一講座一講師を原則としてカリキュラムを組んでいた当時の美学校の方針とそぐわず流れたそうだ。

講義では”錚々たる”という言葉を使いたくなるような講師陣が教壇に登っている。1969年当時の案内を見ると、粟津則雄、巌谷國士、内村剛介、片岡啓治、唐十郎、澁澤龍彦、白井健三郎、瀧口修造、種村季弘、出口裕弘、寺田透、埴谷雄高、土方巽、森本和夫の名前が並ぶ。ただ、ここに記載されているすべての人が必ずしも登壇したわけではないようで、一期生で現代表の藤川曰く「瀧口修造は来てないんじゃないかな。」とのことである。どちらにせよ、「澁澤さんというのは人前では話すような人ではなかったけれども、美学校の先生までやっているわけだから。」「澁澤さんだけじゃない。普通並ばないような人が並んでしまった。」と巌谷が述べるように、当時話題になるには十分な講師陣だったことは違いないだろう。

1969年当時の美学校にどんな講師が来ていたかを人に話すと、美学校ってすごいんですねと言われることがあるが、すごいのはこの講師陣を揃えた現代思潮社である。ということで美学校を設立した現代思潮社についても簡単に振り返っておきたい。現代思潮社(2000年より現代思潮新社と改称)は、1957年に石井恭二によって設立、「良俗や進歩派と逆行する『悪い』本を出す」がモットーで、サド、バタイユ、ブランショ、デリダ、オーウェル、トロツキーらの翻訳や埴谷雄高、吉本隆明らの思想書なども出版しており、多くの若者から支持を受けたそうだ。サド裁判で有名な『悪徳の栄え・続』を澁澤龍彦による訳で刊行したのもこの出版社だ。ではその現代思潮社がなぜ美学校という美術学校を設立することになったのか。私が2008年に行った美学校設立に大きく関わった今泉省彦へのインタビューでは、設立は社長の石井恭二による発案であるが、その具体的な動機はわからずとのことだった。また、美学校の設立の前史として、1962年に谷川雁と吉本隆明が始めた「自立学校」があるそうだが、私の知識不足のため、自立学校と美学校の関係については、また別の機会に記すとしたい。

1970〜2000年


かなり乱暴なくくりとなるが、1970年から2000年までを一気に追って行きたい。創立次年度の1970年にスペースと設備の拡充のため現在の神保町の校舎へと移転する。この年には現在まで続く、シルクスクリーン教場(講師:岡部徳三)と銅版画教場(講師:加納光於)が新設され、美術演習教場を担当する三人の講師として赤瀬川原平の他、菊畑茂久馬と松澤宥が加わっている。講義講師陣には、安東次男、大久保そりや、笠井叡、片岡啓治、桂川寛、裾分一弘、白南準(ナム・ジュン・パイク)、松山俊太郎、毛利ユリらの名前が加わる。本年(2014年)5月に他界した松山俊太郎はこの年より2012年まで実に42年もの間、定期的に美学校で講義を行った。また、余談ではあるが、2014年5月まで修理しながら使用されていた美学校の黒板は、この当時のものである。翌年の1971年からは、赤瀬川、菊畑、松澤の三人で担当していた美術演習教場が解体され、菊畑は「描写研究室」、松澤は「最終美術思考」、赤瀬川は72年より「絵・文字」を担当することとなる。松澤は1981年まで「最終美術思考」を続けるが、途中1973年に美学校・諏訪分校を開講する。創立からのこの数年で、一講座ごとに受講する、いわばその講座の講師に弟子入りするというと言い過ぎだが、様々な授業を履修する一般的な学校とは異なった美学校独自の学校システムが形成され、それは現在まで続くこととなる。

1975年には有限会社として現代思潮社から独立し、入間分校を開設する。入間分校では主に小畠廣志による木彫刻の授業が行われたようだ。そして同年1975年から77年までは、小杉武久による「音楽」が開講された。今はレア盤となった『East Bionic Symphonia』は、初年度の「音楽」受講生によって結成された同名のインプロヴィゼーショングループで、その発売の背景には、講座の成果としてグループを作ってレコードを売り少しでも学費の足しにしてほしいという小杉の気遣いもあったそうだ。1975年には他にも新教場が開設される。鈴木清順、鈴木岬一、岡本愛彦、木村威夫による「映画技作」である。鈴木清順によるパンフレットの案内文が素晴らしいので、「ハイロと美學校」というこの機会に全文引用しておこう。

「劇映画で、人並みの生活を期待することは、先ず絶望的である。劇映画は、今や食えない職業の筆頭となっている。むかし六無斉という男が、金も女房も版木も無いと嘆いたが、劇映画は七無斉、八無斉、九無斉とあてどなく無にさまよい、あるか無しかの美に酔いしれる非人である。人を捨てる人あらば来たれ!」

とてつもない檄文である。この「映画技作」は1979年まで開講した。

1978年には現在に続く写真工房(講師:成田秀彦)と石版画工房(講師:阿部浩)が開講する。そして1980年には路上観察で有名な赤瀬川原平の「考現学」が開講する。少し前まで美学校と言えば赤瀬川原平というぐらいこの講座は看板講座であった。翌1981年には、代表責任者の田中力の辞任に伴い、今泉省彦が代表となる。そして1983年に美学校在校生による展覧会「アートランス・ギグメンタ83」が六本木アクシスギャラリーにて開催された。「ギグメンタ」はこの後、2006年、2008年、2013年、2014年と開催される。

80年代から99年までは、定番化した講座が続いていくことになる。この期間に開催していた講座は、シルクスクリーン(講師:岡部徳三、松村宏)、石版画(講師:阿部浩)、銅版画(講師:吉田克朗、清野耕一)、写真(講師:成田秀彦)、絵画(講師:菊畑茂久馬)、細密画(講師:渡辺逸郎)、考現学(講師:赤瀬川原平)、造形基礎(講師:鍋田庸男)他、「芸術科学実験工房」や「脳内リゾート環境開発事業団」といった講座も一時期開講した。現代表曰く「この時期は普通の美術学校をやってしまっていた。」そうで、生徒数も減少し、2000年を迎えずに閉校かというところで、代表が今泉省彦から藤川公三に代わって、再出発するのである。

2000年〜2014年


2000年からは新代表・藤川の元、版画や絵画といった既存の講座に加えて、新たな講座がめまぐるしく開講していく。まず2000年には、トンチキアートクラス(講師:小沢剛)、絵画表現研究室(講師:内海信彦)、マンガ的視聴覚室(講師:久住昌之)、アートプロジェクト演習(講師:山野真悟)が開講。トンチキアートクラスには、その後講師となる昭和40年会のメンバーや中ザワヒデキらがゲストとして参加、以降、数々の現代美術の講座が開講されることとなる。講座を受け持った講師には、会田誠、宇治野宗輝、松蔭浩之、昭和40年会(グループとして)、藤浩志、KOSUGE-16、斎藤美奈子、三田村光土里、倉重迅、田中偉一郎、阿部謙一、Chim↑Pomらがおり、2014年10月からは遠藤一郎もこの列に加わる。

また、久住昌之のマンガ的視聴覚室を始めとして、美術以外の講座も多数開講。サウンド/視聴覚(講師:伊東篤宏)、脳を鍛える大人のDJトレーニング(講師:L?K?O)、スクラッチビルダー養成講座フィギュア(講師:メチクロ)、モード研究室(講師:濱田謙一)、実作講座「演劇 似て非なるもの」(講師:生西康典)、僕らのデザインソングブック(講師:大原大次郎)などがそれである。

他にも、OJUNによる「生涯ドローイングセミナー」、佐藤直樹、都築潤、マジック・コバヤシ、水野健一郎、小田島等、池田晶紀の6人の講師による「絵と美と画と術」、中ザワヒデキの文献研究、JINMOによる「美楽塾」なども現在の美学校を賑わせている。

2012年には、映画美学校で開催されていた複数の講座からなる音楽美学講座が、音楽コース(2013年からは音楽学科)として美学校に移設される。なお、映画美学校と美学校は名前が似ているだけで、経営的なつながりもなく無関係である。音楽学科では2014年現在、作曲とDTMの講座を計5つ開講、菊地成孔、高山博、numb、中村公輔、横川理彦らが講師を務める。同年10月からは、細馬宏通による「うたをつくる」を開講予定だ。

 以上、かなり大雑把に美学校の設立から現在までを追いかけて来たが、その時代時代によって美学校の印象が結構変わってくるのではないだろうか。今回は一つ一つの講座の内容や、細かなエピソード、活躍中の修了生、そして近年数多く開催しているイベントなどについては触れられなかったが、一先ず以上を以て美学校史の覚え書きとしたい。