酒井貴史
女子高生が物々交換所に置いてあったことがあります
https://twitter.com/kakumeikurabu/status/371090984047636481
不特定多数の人々に対し、(時に廃棄物すれすれの)不要品が無償で供される物々交換所に女子高生が横たわる様には、金銭による人身取引それ以上に人としての尊厳の喪失を感じさせられました。
キューブリック監督映画「アイズワイドシャット」の、大富豪達が出資する会員制の秘密高級娼館が健全にみえる程の手の施しようの無い頽廃感に満ちています。
実際にはこの画像は武蔵野美術大学の学生のパフォーマンス作品であったのですが、この作品から連想されるものがありました。それは昨今話題になっている、俗に「炎上画像」と呼ばれるものです。
主に若者が、自身がコンビニの冷蔵庫に潜り込む等の悪ふざけの様子をツイッターに投稿したものに対して非難が殺到、過剰に社会的制裁を求める声があがった現象です。
このような若者に対して厳罰を求める理由として、行為の不衛生さや公共心の欠如が挙げられているのですが、低廉な商品が置かれるべき陳列棚に人間が横たわるという図式が「人間が商品として安価に取引される」経済を暗示しているかのように思えることに、無意識に拒否反応を起こしているようにも感じられます。
引用 石田 徹也 作品
http://matome.naver.jp/m/odai/2133008387791300801
「人間が商品として取引される社会」からの脱出不可能性
専制君主のような明確な支配者が存在するのなら、逃亡や謀反を企てるという形で脱出の希望が残されています。
しかし値札を貼られると同時に、自分もまた時として他の人間を商品あるいは計量可能な物として扱う必要に迫られるというこが、支配関係を双方向化し、逃亡可能な「外部」を無くしてしまいます。
商品として陳列棚に置かれた人間を見時、あなたはそれを値踏みする存在となる。それは同時に自分もまた商品となりうる事を意味します。
マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう』より引用
『あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。』
この二者択一を問われた者は、電車の運転手と線路上の作業員の2つの視点を同時に体験する。
より多くの人命を救うための選択に踏み切るか否かの決断は視点を変えれば、その時自分が退避線上の作業員だった場合に己が犠牲となることに合理性を見るか、理不尽と感じるかを問うている。
この問いからの逃亡の余地は無い。
物々交換所
物々交換所はまだ使える不要品を収集して貰い手を探すための場所です。ここに置いてある物は遠慮なく持ち帰ってください。
物を置く時、貰う時にどんな物があるかツイッターでつぶやいてください。もしくは交換所の棚を整理してもらえるとありがたいです。
酒井貴史
1985年10月28日宮城県山元町出身。2009年武蔵野美術大学卒業。現在、物々交換所管理人。詳しくはツイッターから。https://twitter.com/koukanjyo