【12〜3月】松田修「外道ノススメ」授業内個展「生れて、すみません。」




会 期:2018年12月1日(土)〜2019年3月30日(土)「外道ノススメ」の授業中に不定期で開催
 だいたい土曜日19:30~22:30
 詳しくは、松田修のツイッターアカウントにて前日までに告知。
会 場:美学校 本校(地図
    東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F


授業内個展「生れて、すみません。」について

今回僕は、『外道ノススメ』授業中に、1分43秒の新作ビデオ作品「生れて、すみません。」を発表することにしました。このミニ個展と公開授業とが混じりあったイベントは、どなた様でも参加が可能です。作品を鑑賞するだけでも、公開授業という名の僕らの集会に参加して頂いても構いません。ご来場の際、高価な壺等を売りつけたりは致しませんが、美学校側から入会の勧誘がある場合もあります。僕としては入会しないことをお勧めします。笑

「生れて、すみません。」は、そもそも京都での僕の個展「リビング・メッセージ」に出品予定だった作品です。史上稀に見る悪人として今年死刑が執行された、麻原彰晃氏が素材になっています。彼が素材であるということが原因で、当然のように出品を断られちゃいました。よくあることです。よくあると言えばそれまでですが、ネットによる監視社会の影響か、はたまた善意の暴走か、僕らは現在個人の生き方がモラルによって制限される世界に居るように思います。善意やモラルによる正論が以前より力を増し、正論から漏れてしまう性質の人間は、息を潜めてアンダーグラウンドの世界で慰めあうしかないのでしょうか。しかしそういった人間が世界から居なくなったことはありません。居なくならずにアンダーグラウンドに潜るだけ。そう僕は、どんなに善意の輪が広がったとしても、社会全体のモラル意識が高まったとしても、ルールがわかっていても守れない人間、そんなカス人間は必ずどこかに存在し続けると考えています。社会がそんなカス人間を排除しようとする流れになるのは当然の論理だと思いつつ、カス人間を数の論理で排除し続けることが一番正しいことなのか、僕にはわかりません。しかし歴史は、正しさや常識に囚われないカス人間が、何かをしでかすことによって変化してきたように思います。良くも悪くも。もう誰も変化を望んでいないのでしょうか。

僕は芸術家なので、常に芸術の話をします。芸術家が変化しないことを強制されたら、その芸術家は死んでいるも同じです。そして僕は、男性同士が女性の耳の届かないところでするような話、例えば「アレは良いまんこだった。コレは悪いまんこだった。」といった人智がゼロに感じられる会話を、あえて白日の下に晒すタイプの作家です。生まれも育ちもそのような露悪的な街でした。住んでいる人間は大体が僕のようなタイプがデフォルトで、大体が悪側の人間でした。掃き溜めに鶴さえいないところです。つまり僕は、芸術家として松田修として、自然な流れをもって「生れて、すみません。」を制作し、発表するわけです。世界の隅々が正しさのみに満ちていて、芸術家も正しさを基に芸術を発表できればどんなに良かったでしょう。しかし現実に麻原彰晃は存在していたし、松田修も存在しているのです。

そして学校の授業と言えば聞こえは良いですが、講師が居てトップダウン形式で授業をするその構造は、宗教団体の集会やセミナーとなんら変わりがありません。(しかも美学校の講師は僕を含めてカス人間だらけ。立派な教師なんて居ないし、学校とは名ばかりの場所。笑)しかも僕らは、毎週土曜日に夜な夜な「外道とはなにか?」を話し合い、実践しようとする『外道ノススメ』です。この事に恐怖を感じて、『外道ノススメ』を閉鎖に持ち込もうとする人が現れても不思議ではない世の中です。こんなに「生れて、すみません。」に相応しい発表場所は、他に無いと僕は考えました。

しかしながら、日々平穏を願い、何をしでかすか分からないカス人間に怯えている皆様に、僕も理解がないわけではありません。麻原氏が起こした事件は、許されざる行いであるとの認識は、僕も持っていますし。そんな皆様の悪滅作戦が成功する未来が訪れたらいいとも思っています。

ですから、僕もこう書いておきましょう。

「生れて、すみません。」

松田 修

Matsuda

▷授業日:毎週土曜日 19:30〜22:30
現代を様々な角度から考証し、ハミダシ者として表現を創造していくことを目的に授業を進めていきます。キーワードとして、「サーチ&デストロイ」を強く意識していき、学校教育では教えられないことを存分に取り入れながら、強い表現とはなにか?を考え実践していきます。