※写真は、BIGAKKO ANNUAL REPORT 2010 風倉匠展でのパフォーマンスの様子。
私が首くくり栲象さんのことを知ったのは、さほど昔ではない。2011年2月16日のこと、偶然の出会いからシアターカンパニーARICAの公演前日のゲネを拝見し、客演されていた栲象さんを知った。それからしばらくして、今度は川口隆夫さんのソロ公演を観に行ったときのこと、公演後、隆夫さんに「まるで歌右衛門が諸肌を脱いで踊っているような、、」などと非常に独特の語り口で感想を伝えている人がいて、興味を引いた。それが栲象さんであった。それが決定的な切っ掛けとなり庭劇場に通い始めることとなる。
庭劇場とは栲象さんが住む国立の古い平屋の小さな庭で行なっているもので、観客が10人も入れないようなものだ。その庭にある乙女椿の木の下で首をくくるのである。首をくくるのを人に見せるというのは、話だけ聞けば露悪的なものを想像する人もいるかもしれない。だけど実際に栲象さんの首をくくったり、とても静かな歩行などを観いていると、それは見ている人の心の中に小さな小さな波紋をおこすような美しい行為なのである。栲象さんを見ていると、広大な自然の中にたったひとりで佇んで、自分自身を見つめているようである。そこにはことばがひとつもない詩的で思索的な行為。だが公演後に行なわれる栲象さんと観客たちが話を酌み交わす小宴(手料理やお酒も振る舞われる)で栲象さんから出て来ることばは綺羅星のようである。ことばが彗星のように光りを放って飛来しては消えてゆく。一瞬で消えてゆく行為やことばは尊いけれど、ここで一度あらためて栲象さんの話をまとめて聞いておきたいと思った。
1960年代から風倉匠、高松次郎、松澤宥などの美術家とも交流して来た栲象さんの過ごした時間を振り返ることは、もはや歴史となりつつある美術史にもういちど小さな明かりを灯してみるようなことにもなるかもしれないと思っている。計らずも美学校で開催されることにも意味があるはずだ。それは私の小さなもくろみのひとつだけれど、実際始めてみなければ、ことばはどういう軌道を描くことになるのか分からない。一緒に、栲象さんの美しいことばに触れる時間を過ごせればと思う。(生西康典)
庭劇場については2012年にBody Arts LaboratoryのHPに雑感を書いているのでご興味のある方は、こちらもお読みください。
http://bodyartslabo.com/critique/niwagekijyo.html
首くくり栲象HP
http://ranrantsushin.com/kubikukuri/
語り手:首くくり栲象
聞き手:生西康典、佐藤直樹、印牧雅子
日 程:第一夜 2014年7月6日(日)
時 間:18:00〜21:00頃
料 金:カンパ制(1,500円より)
会 場:美学校 本校(地図)
東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F
【プロフィール】
首くくり栲象|Kubikukuritakuzou
「プロフィールに似て非なるもの としてその伝で」
先程は困ったプロフィールをだしました だいたいプロフィールのとき 古い写真を掲載するようで 死んだ子どもの歳を数えるようで 経歴は苦手なのです それでついついかように書いてしまう習性がわたしにはあります 袖ふれあうも多生の縁 は西洋風にでいえば出会いです 例のロートレアモンの詩集にある 手術台の上でこうもり傘となんとかの出逢い なんてのもありますね
わたしの感想ではそれを袖ふれあうも多生の縁となるのです 昨夏 雨に濡れ 肺炎と肺気腫で片肺をだめにしてから雨が苦手になりました このつゆで なかなか庭に立てないで 座敷でうろうろしているうちに ハタとひらめいたとき すでに座敷で動いていたのです 柱も壁も吊るしてある洗濯もわたしと同様な立場、同時代に存在するものなのです どうもものの上にはそのものに必要なだけの空気のような空間があるようです その空間は当然わたしにもあるわけです
そのような空間が互いにふれあったとき 互いの空気は感応するのです 西洋風には出逢ったのです だからといって双方がそれでしあわせになる訳ではありません それをもってしてその構えで即何事かにあたっている契機 いずれにしても知らぬ仏の事態なんでしょうが
そのときの観客は硝子戸の先の雨と雨の風景でした
生西康典|Yasunori Ikunishi
1968年生まれ。演出家、美術家、映像作家。映像作品や舞台の演出など広範な活動を展開し、さまざまな領域の作家たちとともに作品を送り出している。サウンド・インスタレーション《おかえりなさい、うた Dusty Voices , Sound of Stars》(2010、東京都写真美術館)など。昨年秋より美学校で実作講座《演劇 似て非なるもの》を始める。
佐藤直樹|Naoki Sato
1961年生まれ。アートディレクター、グラフィックデザイナー。近年は挿絵や壁画の制作に取り組んでいる。北海道教育大学卒業後、信州大学で教育社会学・言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。デザイン会社ASYL(アジール)主宰。アーツ千代田3331デザインディレクター。美学校「絵と美と画と術」講師。多摩美術大学准教授。
印牧雅子|Masako Immaki
主に身体芸術の分野で企画、編集、本づくりなどを行なう。Body Arts Laboratoryプログラム・コーディネーター。主な編集書に『Wake up. Black. Bear. 橋本聡』『セルフ・コーチング・ワークショップ2010』、眞島竜男・外島貴幸『bid』(デザイン)。2013年まで近畿大学国際人文科学研究所四谷アート・ステュディウム研究員。