「細密画教場」講師・田嶋徹インタビュー


1969年の美学校開校時から現在まで続く「細密画教場」。現在講師を務めるのは、自身も受講生として「細密画教場」に通った田嶋徹さんです。時間をかけて対象を克明に描く細密画ですが、絵画の経験は問うていません。かくいう田嶋さんも、絵画経験なしで細密画をはじめたひとりです。インタビューでは、田嶋さんと細密画の出会い、細密画の魅力、「細密画教場」ではじめた新たな取り組みなどについてお聞きしました。

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田嶋徹(たじま・とおる)|1969年東京生まれ。1987年美学校細密画教場に学び絵を描き始める。1991年より個展。彩林堂画廊、ギャラリーアートもりもと他グループ展多数。2001年より美学校細密画教場講師。

幼少期の原体験

田嶋 出身は東京都中野区です。両親は共働きで、父親は公務員でした。公務員住宅と呼ばれる団地に住んでいて、幼稚園のときに品川に引っ越すんですが、そこでも大きな団地に住んでいました。団地には同世代の子どもがたくさんいて、当時の男の子の遊びといえばもっぱら野球です。仲間はずれにならないよう僕も野球をやっていましたが、運動があまり得意ではないので、本当は友だちと部屋で漫画を描いているほうが面白かったですね。

 これは毎年授業でも話すんですが、僕が子どもの頃は、夕方にテレビで「ウルトラマン」や「仮面ライダー」シリーズの再放送をやっていました。僕の世代が最初に見たのは「帰ってきたウルトラマン」(1971〜72年放送)以降のシリーズなんだけど、再放送では「ウルトラマン」(66〜67年放送)とか「ウルトラセブン」(67〜68年)を見るわけです。そうすると、自分が最初に見たシリーズよりも、過去に放送された「ウルトラセブン」とかのほうが面白いじゃんと思うんですよ。

 おそらくシリーズが始まった当初は、みんな熱量を持って制作するんだけど、視聴率が上がって2本目、3本目をつくるとなると、その熱量が毎週は続かないことに気がつくんですよね。それでもなんとか継続するために、怪獣と話のバリエーションをかけ合わせるといった工夫を生み出すわけですが、その結果、一話一話のクオリティは下がってしまいます。でも、その工夫があったからこそ日本のサブカルが産業になるまで発展したとも思います。そういう原体験があったので、思春期を通して世の中は右肩下がりで、良質なものはすでに終わってしまっていると思っていたし、その後のサブカルブームにも全然乗り切れませんでした。

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何かしなきゃいけないと思って「細密画教場」に

田嶋 中学2年生のころに、親が杉並区に建売住宅を買って団地住まいではなくなりました。その頃はもう漫画も描いていなかったし、何かを見たり聴いたりする楽しみもあまりなかったです。都立高校に進学したものの、1年生の途中から雀荘に通いはじめて、そのうち学校には行かず毎日雀荘に通うようになりました。高校を卒業できたとしても進学なんて考えられないし、かといって就職するのは懲役に行くことのように思えたので就職もしたくない。親は頭を抱えていたと思います。

 なんとか高校を卒業したあとはアルバイトをしていましたが、それも自活できるわけではなく、遊ぶ金を稼ぐ程度です。あるとき、家にあった『宝島』という雑誌を見ていたら、後ろの方に美学校の広告がありました。そこには「このあきらかに駄目な時代に──私達と切りむすぶわけにはいかないか」云々というコピーが書いてあったんです。そのときの自分は「この明らかに駄目な時代」が、自分が今生きている80年代のことだと思いこんでしまったんですね。あとから思えば、本当はもっと長い期間のことを指しているわけですが。ともかくも、それまで美学校のことは知りませんでしたが、この挑発的なコピーが「世の中は右肩下がりだ」という自分の実感にぴったりきて惹きつけられてしまいました。

 今思えばですが、当時の自分は就職しないにしても、何かはしなきゃいけないと思っていて、モノをつくることなら苦痛ではないかもしれないと考えたんじゃないでしょうか。ただ、「芸術」を「創造」するとかいうことは考えられない。広告の中に「細密画」という名前があって、自分が行けるとしたらここだろうと思いました。それで、10月期から「細密画教場」に入りました。1987年、自分が18歳のころの話です。

 「細密画教場」の初代講師は立石鐵臣さんですが、僕が受講したときは渡辺逸郎さんが講師をされていました。受講生は5〜6人いたと思います。僕より先に受講していた人たちは、牧野富太郎の植物図を模写していましたが、僕はみんなが最初にやっていた鉛筆画からはじめたいと言って、拾ってきた石を最初に描きました。自分から意図して絵を描くのはそれが初めてのことですね。ただ見たままを克明に描けばいいんだろうと、端から描いていく感じでした。当時描いたものを見返すと、デッサンは狂っていますが、克明に描くことにはちゃんと取り組んでいることが感じられます。その点は当時も褒められました。そのときから、自分はなんとか細密画でやっていこうと考えるようになったのだと思います。

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「細密画教場」講師に

田嶋 それから1年半、受講生として「細密画教場」に通いました。当時は卒業展のような形で「細密画展」というグループ展を毎年やっていて、貸画廊を借りて7〜8人で展示をしていたんです。そのときに渡辺さんが案内を出した画廊主が展示を見に来てくれて、僕に「個展をやらないか」と声をかけてくれました。それが21、22歳のことで、それから継続的に個展を開催しています。講座を修了してすぐに食えるようになったわけではないですが、制作はずっと続けてきました。

 講座修了後も「細密画展」に参加したり、授業が終わった後の飲み会に顔を出していたので、講座との関係は続いていました。2000年ごろに渡辺さんが講師を辞めるにあたり、「講師をやらないか」と声をかけてもらって、今度は講師として「細密画教場」に関わるようになりました。早いものでそれから20年が経ちます。

 授業では、まず鉛筆画からはじめて、後期は水彩画に取り組みます。モチーフはだいたい自然のものですね。枯れたものや鉱物、貝殻や標本といった、数ヶ月間変化しないものを用います。描くものの順番が決まっているわけではないですが、モチーフによって難易度が異なるので、描く前に伝えるようにしています。最初はどんぐりとか単純な形態のものからはじめて、だんだん形が複雑でサイズも大きなものにしていきます。経験者の人には、その人の現在の実力よりも少し難易度が高いモチーフを勧めています。

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 例えば、石を描こうと決めたら、まず石を探しにいきます。いくつもの石の中から気に入った石を選んで持ち帰ったら、机の上において、あらためていろんな角度から石を見回します。どの角度から見るのがこの石のベストかを考えるんです。それが決まったら次は下描きをします。モチーフによって画面の大きさが決まるので、本画用紙と同じ大きさの下描き用の紙を用意して、そこにデッサンをしていきます。その際、モチーフの形をとるだけではなく、絵を用紙のどこにどういうふうに収めるか、画面構成を同時にやるんですね。本画用紙上ではあまり修正したくないので、下描きの段階で克明に形を取ります。

 下描きができたら、トレーシングペーパーを使って本画用紙にトレースします。そこからはひたすらモノを見ながら描いていきます。僕の場合は端から描いていって、反対側まで行ったらまた戻って……を何回も繰り返して、だんだんと絵に厚みが出てくる感じです。対象の形が複雑になると、描くことが難しくなるだけでなく、見ること自体が難しくなります。手が追いつくかどうかに加えて目が追いつくかどうか、その両方が問われるんです。習熟のスピードも、どれだけ時間をかけられるかも人によって異なるので、受講生全員に同じゴールを定めているわけではありません。一年でどこまで到達するかは人それぞれです。

「体感/体幹」を養う基礎デッサン

田嶋 授業は週に1回ですが、今年(2023年)から授業とは別に「基礎デッサン」の日を設けています。自由参加ですが、「細密画教場」の受講生は無料で受けられます。細密画は目の前に置ける範囲のものを描くので、モチーフの大きさも、目とモチーフの距離もだいたい決まっています。だけど、形をとることをトレーニングしようと思ったら、もう少し大きいモチーフを使って、体全体で形をつかむ練習をしたほうがいいんです。対象が小さいと、どうしても小手先になってしまうので。基礎デッサンでは、イーゼルを立てて、立った状態で細密画のモチーフよりも大きいものを描いています。そうすることで、体全体の感覚という意味での「体感」や、体を支える「体幹」を感じてほしいんです。

 僕自身も、細密画を続けるなかでデッサン力の不足を感じ、街のデッサン研究所などに通ってデッサンを学びました。「細密画教場」には、僕と同じようにまったくの初心者から絵をはじめる人、絵画経験はあるけど形をとることが苦手だと感じている人、絵がうまくなりたいと思っている人などいろいろな受講生がいます。技術的なことはなんでもそうですが、ゲームのようにクリアして次のステージに進むというふうにはいきません。技術というものは、覚束ないながらも次の工程、次の工程と進んでいくうちに連動していくものなので、気がつくと始めのほうにやっていたことが、前より出来るようになっているという感じです。

  デッサンというと、美大に通っていたり、美大受験を経験した人でないとなかなかやる機会がないですよね。絵を描いてみたいけどデッサンをやったこともないし……という思いを抱えている人は少なくないと思いますが、「基礎デッサン」はそんな人にとっての最初のきっかけになればいいと思っています。また、「細密画教場」の受講生だけでなく、美学校の現役生を対象にしたヌードクロッキー会も月に2回ほど開催しています。いずれもはじめたばかりの試みですが、来期以降も続けていきたいと思っています。

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技術を通じて自分の「表現」を発見する

田嶋 細密画はモチーフの形を正確に取るわけですが、それでも描いた人によって違いが出るんです。何がどう違うか言葉では言えませんが、見れば「描いた人の何か」があるのが分かります。それはつまり、「なぜ絵を描くか」の根っこの部分なんじゃないかなと思うんです。自分が描くと、意図せずとも「こんな感じ」のものができあがる。自分でも初めて目にするようなものだけど、それに愛着を感じる。じゃあ次もやってみようと思う。今回は、前回よりも「こんな感じ」が出なかったなとか、前よりもよく出たなとなる。そういうことを繰り返すうちに、自分なりの「何か」をもっと洗練させて良くしていこうと思うんです。

 ただ、その「何か」、つまり「自分らしさ」みたいなものだけを取り出して磨いていくことはできません。「自分らしさ」を磨くことは、それを乗っけている技術を磨くこととセットになっているんですね。言い換えると、表現と技術はセットになっていて、表現だけを取り出すことはできないということです。

 先ほども言ったとおり、僕は「表現をしたい」と思って「細密画教場」に入ったわけではありません。細密画という「技術」に関心があってはじめたら、「表現」というものを発見しました。僕はたまたまそういう入口から入りましたが、逆の入口から入る人もいるでしょう。入口はさまざまあって、入りやすいところから入ればいいと思います。

 今は写真があるから、写真的な図像を思い浮かべて、誰もが「こういうふうにモノを見ているんだろう」と思ってしまいがちですが、写真はあくまでカメラという機械を通した像だし、他人がモノをどう見ているかは確かめようがありません。少なくとも自分がどういうふうにモノを見ているかを、細密画をやることで取り出そうとしているわけです。さらに言うと、「細かくて密」という言葉には、必ずしも「対象物を描くこと」は含まれていません。描く対象を決めることで、自分が何ができていないかがわかりやすいので「細密画教場」ではモチーフを描いていますが、本来は抽象でもいいし、何かのパターンの反復でもいいわけです。細密画のテクニックがあれば、それを別の表現にも使えます。

 細密画は、単なる職人の仕事じゃないんですよ。描けたものは、対象とも写真で撮ったものとも違うものになります。「ただの石ころを描いたものなのになぜか惹かれる」と思えるものじゃないとダメなんです。手描きなのに写真のようにリアルに描けている絵というのは、それだけで無条件に感心されるものではあります。だけど、それだけではつまらない。出来上がった作品に対して「自分でも意図しなかったけど、こんなにおかしなものが出来るのか」と感じられる。細密画は必要以上に細かすぎることで、自分でも見たことのない異世界に通じてしまうような妖しさがあって、それが面白いんです。

2023年10月18日収録
取材・構成=木村奈緒 写真=皆藤将

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細密画教場 田嶋徹 Tajima Toru

▷授業日:毎週水曜日18:30〜21:30
細密画教場では目で見たものを出来るだけ正確に克明にあらわす技術の習得を目指します。この技術は博物画やボタニカルアート、イラストレーションなどの基礎になるものです。