講師インタビュー/濱田 謙一(モード研究室)



━━━モード研究室ではどんな授業をされているんでしょうか?

最初の頃は一年をどんなふうにやっていこうかなとかいうのを考えていたんだけど、生徒が勝手にやっていくようなスタイルの方がいいなということに最近気がついた。あまり方向性は決めていないんだよね。万が一迷ったりしたら、自分のカリキュラムに戻せばいいなと考えてはいるけど、とりあえずは生徒主導で自主的にやる感じだね。あまり余計なことを言わないし、干渉しないし、極端な話教えない。

━━━例えばファッションの授業と言ったらデザインやパターンや縫製などが思い浮かびますが。

やれと言ったことはないね。逆に知りたいことがあったら聞いてくれという感じかな。それを見つけるのが彼らの仕事なんじゃないかなって思うし、そこに対して苦労するんじゃないのかな。

━━━今来ている人たちはどんなことをやっているんですか?

今は四年目の生徒が中心になっていて、その人たちにアシスタント的な感じで引っぱってもらっている。今年は学生の延長ののりだとすごく退屈するなと思ったからテーマだけを与えた。そのテーマというのは、自分たちのお金で実際にシャツを200着作って、それを展示会形式で実際に販売して儲けてみようと。それを実際にやっていくと、その過程で色々な仕事が発生してくる。その仕事は限りなく現場に近くて、それこそ本格的にブランドネームを作って、品質のアテンションをしてとかね。

やっぱり洋服というのは作品でもあり得るかもしれないけど、それよりも何よりも商品なんだよね。それを売って生活をするわけで、そこがデザインと芸術の違うところだと思う。洋服はなんだかんだ言ってビジネスだから、自分で作ったものが売れる喜びというのを授業の中で教えられたらいいなって思っている。そういう学校はあまりないんじゃないかな。

━━━確かにそうですね。服を作るスキルとビジネスのスキルは別物ですもんね。

理論的にファッションビジネスはこうだというレクチャーや講義はある。けれどもこのクラスでは実際に自分の金を使ってリスクを背負って売っていく。では200着も作ってしまって売れ残ってしまったらどうするのか。それは金と一緒で、そうしたら次は大阪で売ってみようよと。流行ものではなく、二年三年売れるテーマのものを作って、大阪で売って、名古屋で売って、北海道でも売って、というふうにしてそれで全部商品がはけたら嬉しいなって。

売れたり欠点が見つかることによって、次作るものの創作意欲が芽生えてくると思うし、その後に技術がついてくればいいのかなと思う。技術を習得するのは10年、20年かかるし、それってある意味丁稚奉公みたいな職人の世界だからね。それよりも意欲が先立って、技術が後からついてくるみたいな方のがわかりやすいんじゃないかと思う。

━━━普通の学校とは逆ですよね。

美学校で技術だけを教えてもね。例えば大学で四年間かけて学ぶものを美学校の一年の授業で修得するのはまず不可能だから。

だから何も生徒がずっとファッションをやっていってほしいとは全く思っていない。今夢中になれること、それがたまたま僕が服を教えているから服であれば、あとは建築に行こうが何をしようが転換できると思うんだよね。

結局は作りたい意欲だと思う。どっちかと言うと世の中湿気っぽいからさ。明るくないじゃん。だからそういう作りたい気持ちとか、それに対して喜びを感じる方が素直なんじゃないかなと、自分に対して高尚なんじゃないかなと。そういうような気持ちがある。

━━━去年はどんな感じだったんですか?

プレゼンテーションをするという最終目標を与えた。いわゆる展覧会だよね。それに対して、個々にテーマを与えずに自由にやらせた年だったね。

━━━モード研究室には複数年通っている人も何人いますよね。何年もモード研究室に通う理由は何なのでしょうか?

それは自分が一年で終わらせていないというところもあるし、一年じゃ納得できないという生徒が多いからじゃないかな。もっと面白い事とか自分が知らないことがあるんじゃないかなと。

だから、はい一年やりました。二年で卒業です。はい、卒業制作を作ってください。お疲れさまでした。さようなら。という学校ではないと思っているんでね。そういう意味ではダラダラしていいのかなと思う。もちろんいい意味でね。自分がこの分野で25年ぐらい仕事してきたことをそれこそ一年で行儀良く教えることは不可能だから。

普通の大学とか専門学校だったらその分野のエキスパートになろうと思って勉強するんだろうけど、この学校はそうではなくて、長所であり短所なのかもしれないけど、洋服って何なのかな、ちょっと体験してみよう、絵画って何なのかな、じゃあ一緒に受講してみようというように、まだ方向が決まってない人が来るわけだよね。自分がどこに行き着くのかまだわからない。けれども興味があるから扉を叩いてくれる。それに対して何ができるのかということが大事だと思っている。

本当に洋服一筋で行くんだったら、学校法人に行ってください、大学に行ってくださいということになるだろうけどね。とは言っても僕の教室にはアパレルのプロも学びに来ているし、逆にそうじゃない人も来ている。だからそれでいいのかなと。

だけど一つの方向性を、例えば洋服を作って商売するのを実験的にやってみようという提案を投げかけると、勝手に動き出す。なぜ勝手に動き出すかというと、やりたいことがあるからだと思うんだ。それでやりたいことがあるっていうことは覚えなくちゃいけないことがあるっていうことなんだよね。それはやらせるんじゃなくて、自分で見つける。それが美学校なのかなと思うね。

例えばクリエイションはある意味でマーチャンダイジングに負けた時代があると思う。みんな服が似ているんだよ。ブランドネームさえ取り替えてしまえばどこの服かわからない。昔はこの服ってここの服だよねというのが一目でわかったんだよ。それは車のデザインもそうだと思う。

でも今は極端な話、ユニクロのシャツにコムデギャルソンのネームを付けたらコムデギャルソンじゃん。それぐらいマーケットが乱れている。大量生産をして安く人に提供されるものと、少人数で考え抜いて作ったものの価値観がほぼ変わらないんだよね。

けど20、30年前というのはそれが全然違うものだった。だからお金を払えたと思うんだ。もちろん景気もあるけど、それが今どんどん近づいてきている。それこそ高級フレンチを食べなくたって、吉野家の牛丼を食べてればいわけじゃんという話になってしまう。それが斬新な個性を社会とか企業が奪い取っちゃっているような気がする。だからクリエイターが出づらい。算盤をはじける人がいた方が時代が潤う。

日本を動かすような大きいところがさ、小さなか細い作家の領域にまで蝕んできて、それをビジネスにしているような感じ。ある意味悪い言い方かもしれないけど一緒に住めない民族が一緒に住もうとしているような、それで大きい力に負けているというような感じがする。

やりたいこととか、目指したいことというのを子どもの頃はみんな持っていたと思うんだよね。将来何になりたいかとか作文に書くじゃん。それを目指そうということに対して、それよりも安全なところにいた方がいいじゃんという時代なのかなという気がするんだよね。冒険ができない。夢が切り裂かれているような。

━━━ファストファッションについてはどう思われますか?

真剣には考えてないね。いつかなくなるんじゃないかと思っている。というか着るという意味では同じものを作っているのかもしれないけど、このまま行くとまったく別なものになるような気がする。着るための服と、内面を表現するための服みたいな違いが出てくるんじゃないかな。だから今は一番辛い時代で、両者も同じものを作ってしまっているんだよね。

単純にもの作りをしていると、時代に対して素早く動けるよね。今これがいいんじゃないかということに対して、素直に表現できる。だけど会社は図体が大きくなると身動きが取れなくなるからそうはいかない。5000人を抱えている会社が、今これがいいんじゃないかということで、方向転換したらそれは社運にかかわるわけだよ。それはできないわけだよね。そういうところから違いが出てくる気がするんだよね。

だからどんどん大きな会社が後を追っていくというか、小さい会社を買収して考え方を盗んだりとかそうなっていくと思うけど、同じものがたくさんあったら結局みんなつまんなくなるよ。だって一人一人顔が違うように、自分を表現したいわけじゃん。自分に似合うもの。自分に似合うというのは大切な価値観だから、そうなった時に探し出すんじゃないかなというのがあるよね。それには経済ももちろん大事なんだろうけど、だって単純にみんな美味しいものを食べたいじゃん。だけど凌がなくてはいけないから、立ち食い蕎麦を食わなきゃいけなかったり、それは生きてくためだよね。ファッションというのは今そういうような氷河期に入っていると思う。

ただ矛盾するかもしれないけど、突き詰めていくと似てくる。それは確か。微妙な差になるんだよね。そうすると無頓着な人は同じものに感じる。それってプレタポルテの高級ブランドとユニクロなんかも一緒なんじゃないかな。

━━━美学校の講師になった経緯を教えてください。

僕が神保町でギャラリーとバーを経営していた時に、美学校代表の藤川さんがよく来ていて仲良くなって、それからちょくちょく飲むようになった。それが縁で、後々僕がコムデギャルソンを辞めてフラフラしている時に藤川さんが教室を持たせてくれた。

━━━噂は聞いていましたが、本当に飲みつながりなんですね。

その通りだね。僕はその時すごく暇で、藤川さんに僕からやらせろって頼んだ気がするんだ。その時にちょうど母校の東京デザイナー学院から常勤の講師をやらないかという話が来ていたんだけど、そっちよりも美学校の方が面白いんだろうなって思って美学校を選んだ。そしたらすごい貧乏生活でさ(笑)。弱っちゃったんだけどね(笑)。

━━━美学校に来る前はどういう仕事をなさっていたんですか?

一番最初に勤めていた会社に8年か9年ぐらいいたんだけど、ほとんど丁稚奉公だったね。当時バブルの終わり頃だったね。東京のメンズ業界の中ではすごく有名な会社でさ。当時は面白くて、店に来てこの中にあるもの全部くれと言うミュージシャンとかいたよね。

━━━本当にそういう人がいたんですね。

映画衣装とか、舞台衣装とかも結構色々やったんだけど、その会社が倒産しちゃったんだよね。それでその頃業界の中では、僕のことが寝ないで働く奴がいるからみたいな噂になっていて、丸紅っていう商社に引き抜かれたの。それで丸紅で働く時に、本社じゃなくて青山に事務所を作ってくれとい条件を付けた。それと前の会社が倒産してしまったから、そこの社員も三人連れて行けと。

当時商社というのはいわゆる銀行みたいなもので、もの作りに対するマージン商売だよね。その頃のものを作って納める時、クライアントに対して商社マージンが3%とかだった。それでもの作りに参入しましょうということで僕ら技術者が雇われて、もの作りをサポートするし提案もするからという条件で、その3%を5%、6%にしたんだよ。

最初の一、二年はものすごく苦労したけど、今じゃそれが商社の繊維部門の主流になっている。OEMとかODMとかいう発想だよね。

━━━ODMというのは?

濱田 メーカーは企画だけしてください。あとは製造から何からうちが、商社がやりますよ。それで金利くださいみたいな。そうするとアパレルは人いらなくなるじゃん。作りたいもののビジョンがあれば、製造企画を向こうがやる。そういうような仕組みを作って、今はかっこよく自分があれ作ったみたいに。

━━━胸を張って、

濱田 言えないよ。デザイナーとか職人がさ、そういうような仕組みに入ったら、すごくかっこ悪いじゃん。

━━━丸紅には何年いたんですか?

濱田 4年かな。

━━━商社でずっとやっていこうとは思わなかったんですか?

濱田 もの作りができなくなっちゃって、管理してくれってことになっちゃったんだよ。

━━━あくまでもやりたいことはもの作りだった?

濱田 そうだね。やっぱり作って評価してもらう方が僕は好きだね。

それで丸紅を辞めて神保町に来た。丸紅を辞めた時に、服を作るための美術書とか学術書とか膨大な資料を持っていたんだ。それでそれを展示して売るために古物商を取って神保町にギャラリーとバーを作った。

ああいうのって面白いもので、ファッションの仕事をしているとファッションの人としか会わないんだけど、ギャラリーとかバーをやると多方面の色んな人と会える。画家もそうだし、経営者もそうだし。それでそれを4年間やって、その間に関係筋からコムデギャルソンに来ないかという話が来た。

━━━コムデギャルソンではどういう仕事をなさっていたんですか?

部署としては企画生産部のパターンナーだけど、普通のアパレルのパターンナーとはちょっと違ったな。デザイン画を描いちゃいけないとか。

例えば、川久保玲さんとか渡辺淳弥とかに突然呼ばれて、濱田さん今日はこれからこの映画を見に行ってもらえませんかと言われる。それは物語を見るとか服を見るとかではなくて、漠然と見てくださいと。その時はケン・ローチの映画を見に行ったんだけど、帰ってきて見てきましたと言うと、そうしたら今回私はこれがいいと思う、これをコレクションのテーマにしたいんだと言われて、あの映画を見たイメージでとりあえずジャケットを5点作ってくださいと。そこからデザインが始まるんだよね。

お互いにどこがいいかわからないじゃん?僕がいいと言うのと向こうがいいと言うのは全然違う訳で、自分なりに見て、ここがいいんじゃないかなと思うイメージをジャケット5点にぶつけるわけなんだよ。そうすると、全然違うとか、これがいいねとかいうコミュニケーションが生まれて、じゃあ今度はこれで5点バリエーションを作ろうよと。それで5点ジャケットを作って、じゃあ次はこれの組下のパンツを作ってみよう、じゃあその上に着せるコートってどういうのがいいかな、ということを手探りで探っていく。

━━━その出発点が映画のイメージというのが面白いですね。

だから時には映画でしょ。時には画家の画集でしょ。時には小説でしょ。時には世の中の出来事でしょ。そういうようなところなんだよね。

━━━そこ出発点としてジャケットを作っていくのはすごく大変な作業じゃないですか?

ものすごく時間がかかるよ。手を動かす前に考えることが必要だしね。

だからデザインを絵で表現されたら本当に楽だよね。それを形にすればいいわけだからさ。答えがないところからお互い駆け引きをするということはものすごいエネルギーを使うし、時間もかかるんだけど、それによって他にはない新しさが洋服の中に表現できるのかなと思う。

例えば、従来のパターンナーとか企画という仕事は100%正確な答えをもらうのよ。こういうふうに作ってくださいと。だけどそれがないわけじゃん。ということは例えば大工さんは設計図があるから家を建てれるわけだよね。それがない。この土地にこういうイメージで勝手に家を作ってくれみたいな感じ。けどそれはものすごく創造的なことで、素晴らしいことだと思う。

だから芸術家がテクニックが上達して喜ぶというのはすごくダサイと思うんだけど、職人が知らない間に芸術家になっているというのはすごくかっこいいと思うわけ。そんな感じなのかな。

それでコムデギャルソンに4年ぐらいいて辞めて、その頃ちょうど神保町から根津に引っ越して、それで根津でフリーでデザインをやっていたのかな。その後また何年かして藤川さんと再会して、ちょこちょこ飲むようになった。

━━━それでは藤川さんとは随分前からの知り合いだったんですね。

十何年前からかな。美学校の講師になるのが決まったのは、美学校がギグメンタというイベントをアートコンプレックスセンターでやったじゃん。あの時に契約を結んだ。それで共通の知り合いとかもけっこういて、三潴さんとかヴァニラ画廊の内藤さんとか。

藤川さんがすごいと思うのは講師に、ファインアートというか、そこに近い資質の人しか集めてないよね。もし僕が普通のサラリーマンに近いような人だったら、美学校の講師をやっていないと思う。同じような感覚、匂いのする人しか集めてないんじゃないかと思う。

こんなこと話して参考になるの?

━━━とても参考になります。他の学校との違いがよくわかりますし。

圧倒的に違うことを教えようと思っているから。作家と一緒にいれるということは本当に素晴らしいよね。色んな話を聞けたり、同じ感覚で空気に触れられる。それはすごいことなんじゃないかな。そこは美学校の素敵なところだと思う。

それにこうじゃないといけないということもないしね。こういうふうにしなさいとか、これを引き継ぎなさいという師弟関係とかもないしね。それよりもまず最初にその人なりの感覚とかアイデアがあって、そこから枝分かれしていくことが一番大事で、こういう考え方があるんだ、じゃあ自分はこういうやり方でやってみようということを探す場所なんじゃないのかな。

━━━今後のモード研究室はどうなっていくんでしょうか?

まったく想像できないね。生徒がゼロかもしれないし(笑)

━━━初めて美学校に来た時の印象はどういうものでしたか?

教えるということを仕事しようと思ったことがなかったからすごく怖かった。教え方っていうのがわからない。酒飲んで行った覚えがあるよ。

最初は三人からスタートしたんだよ。三人からスタートして、途中四人になって、その四人が今引っぱっていってくれていて、モード研究室はたかだか四年目なのかもしれないけど歴史になった。それからロシアからレナっていう女の子が来たりとか、その関係でロシアのファッション紙に文章を書いたりだとか、それでこの学校も紹介してもらったり、色々あって今に繋がっている。

━━━最後にモード研究室に興味がある人、来たいと思っている人に一言お願いします。

自分を見つけたいんだったら来てくださいって言いたいな。みんな迷っていると思う。どういうふうに生きていくべきか、どんなスタイルでいくべきか。だけどそういう目標を持てないという不安もある。それはみんなそうだと思う。

言葉の中では目標を持っていても、内面では俺はこれでいいのかなとか、そういうような人に是非来てもらって、例えばきっかけは僕の教室でもいいし、他の教室でもいいんだろうけど、結局一生そういう仕事をしてくわけだからさ。お金をもらうって言う意味での仕事ではなくてね。

人間は変わっていくから、そのきっかけが単純に俺ファッション好きだからここでいいか、ぐらいのところから始めていいんじゃないかなと思う。

━━━始まりの場所になり得る。

そう。ファッションでスタートして建築家で終わってもいいだろうし、絵画で始まってファッションで終わってもいいと思う。そのスタートがさ、例えば普通に高校卒業して美大に行ってもさ、決定的ではないと思うんだよね。だったら美学校は自分を探す旅のささいな出会いとしてあればいいのかなと。それで最終的にはかっこよく自分自身で仕事を見つける、人生を見つける。そういう意味で美学校というのは、他のどの学校よりも記憶に残るんではないかと思う。どこよりも学校で、どこよりも学校じゃないからね。

でもそれを真似できる学校というのはないんだと思う。高等な技術を教えたり、高尚な学歴を与える学校というのはたくさんあるけど、そういう看板を背負ってしまった人たちはプライドが先立っちゃうんじゃないかな。ある意味感動する言葉を聞き入れないような気がする。だけど美学校に来るような人は、生徒も講師もそうなんだろうけど真剣に受け止めているよね。だからそこに真実のプライドがあるんじゃないかと思う。

だから何を優先して、何を仕事とするのかになってしまうのかもしれないけど、僕はそこに美学校のかっこよさがあるような気がするんだよね。例えば美大を出るとか、それは素晴らしいことだと思うけど、それが一つの資格とか免許を取ったように思ってしまう人がいて、何かそれは違うんじゃないかなと思う。
もっと転がり落ちるような真実を、リンゴが坂から落ちていった時にそれを取りにいくような精神。見過ごすんではなくね。何かそういうようなものがないと、自分が作ったものに対して人は感動しないような気がするんだよね。社交辞令になっちゃうのかなって。自分はそういう生き方をしてきたから敢えて言うけれども。

━━━今日はどうもありがとうございました。

Hamada Kenichi

▷授業日:毎週土曜日 18:30〜21:30
モードを考えるところからスタートし、実際に服を作り上げるまでの授業です。何かを想像し考え、自分の中に入り込み転がり込んで出てゆく瞬間の表現手段が服であったなら、どのような作品が生まれるのかをテーマに授業を進めます。