たいていウェブ上のイベントに関する記述は、観終わった後の感想が多いのですが、「あ、このイベント観に行こう」と思っている他の人と、期待感をもっと共有したいという想いが強い。そこでこの連載は、週に一回、岸野雄一がこれから観に行くイベントの内容を期待を込めて勝手に予測し、記述していきます。
だいたい週に一回のペースで様々なイベントには出かけているので、こういう連載をやれば、言いだした手前、直前でおっくうになっても観に行くことになるし、備忘録にもなるというわけです。
というわけで記念すべき第一回目は「中ザワヒデキ展 脳で視るアート」に行って来ようと思います。
中ザワヒデキといえば現代美術作家と思われている方も多いが、実は作曲作品も多く、作曲家といっても良い。中ザワが発表してきたコンセプチャルな美術作品は、音楽家の足立智美、三輪眞弘と共に行ってきた方法主義宣言の方法論を音楽的に発展させたものである。8日土曜日には中ザワ作曲作品を高橋悠治のピアノとju seiのヴォカリゼーションで演奏するというコンサートがあったのだが、これを見逃してしまったのは痛い。悠治さんのピアノはもとより、seiちゃんの声というか発声は、人間味を欠いたという意味ではなく記号化されたものであり、中ザワ作曲作品との相性をぜひとも検証してみたかった。
私が中ザワ氏を知ったのは、一緒にバンドをやっていたミュージシャンの松前公高を介してである。松前は千葉大学で中ザワと同期であるばかりでなく、同じアパートの隣室同士であった。確か津田沼だったかな。大学に入学のため引っ越してきた松前は、挨拶で隣室を訪れると、そこでニューウェイブを大音量で掛けていたのが中ザワで、挨拶もそこそこに現代美術、現代音楽の話しに至り、東京とはたまたま隣に住んでいる住人でも、もの凄く音楽に詳しいのだ、これは気を抜けない、と身を引き締めたという逸話を聞いた。まあ結果的にその隣人はかなり特殊な人間だったわけだが。
中ザワ氏とは無駄話、世間話、真面目な議論など、話す機会は数多くあったのだが、いつも帰り道に、あ、今回も聞き逃したと思う事項がある。それは彼が標榜していた「方法」という、感覚や情緒を排した原理主義は、いわゆるテクノ・ミュージックと親和性が高いと思うのだが、そのことをどう考えているか、という事である。2月17日までの会期中にはまだまだ他にも対談などのイベントがあるそうなので、もし会場で会えたらその事について、まめ蔵のカレーでも食いながらその話しをしてみようと思う。
岸野雄一