展示に学び、受講生に学び、写真に学ぶ
―写真工房
文・写真=木村奈緒 写真=皆藤将
ビルのワンフロアに位置する美学校。フロアには講座が行われる教場や、リトグラフのプレス機が置かれた制作スペースなどが広がる。その片隅に、黒いカーテンで仕切られた小さな部屋がある。暗幕の向こう側の様子は外からうかがい知れない。容易に開けてはならない雰囲気すら漂う。と思うと、時折中から人が出てくる。
鋭い方はお分かりだろうが、この暗幕で閉ざされた部屋は写真を現像するための暗室で、中から出てきた人は写真工房の受講生だ。講座は週一回だが、受講生であれば暗室は常時使用できる。誰もいないと思っていた暗幕の向こうからふいに人が出てくるのは、受講生が昼夜を問わず現像に励んでいることの証しでもある。
この暗幕の向こうが暗室
2000年にカメラ付携帯電話が発売されて「写メ(ール)」という言葉が常用語になってから、「写真を撮る」ことは特別なことではなくなった。今や誰もが毎日何かしらの写真を撮っているのではなかろうか。そう考えると、写真工房の受講生も「毎日写真を撮っている人たち」のひとりにすぎない。だけど、フィルムカメラで写真を撮り、暗室にこもり、写真を現像し、また写真を撮りに出かける受講生たちの眼差しは真剣そのものだ。今、「写真」について誰よりも真正面から向き合っているのは、写真工房の受講生たちではないだろうか。彼らが黙々と写真に向き合う理由を取材した。
撮りながら学ぶ
取材当日は学外で展示を見て回る課外授業だった。日差しが気持ち良い金曜の午後、東急東横線学芸大駅に集合して授業開始。講師・西村陽一郎さんの「じゃあ、写真を撮りながら歩きましょうか。」の一声で、買い物客で賑わう商店街をギャラリーに向かって歩き始めた。持参したフィルムカメラを首にかけて歩く様子は、まさに写真工房ならではの風景だ(ちなみに、入校時はフィルムカメラを持っていなくても大丈夫。講座では写真やカメラについてイチから教えてくれるので、知識がついてから購入すれば良い)。
受講生(左)と講師・西村さん(右)の道中カメラ談義
疑問に思ったことはその場で質問
歩きながら受講生の一人が西村さんに声をかける。「先生、今度◯◯のレンズを買おうと思うんですけど、どうでしょう?」「そうしたら、これがそのレンズと同じだから試しに使ってみますか?」そう言ってレンズを交換する受講生と西村さん。「先生、私ライカが欲しいんです」「それは桁がひとつ違うだろうねぇ」道中のふとした会話も授業になっている。
写真工房では「これを撮りなさい」ということは一切言われない。受講生が撮りたいものを撮る。だから道中も立ち止まって写真を撮るポイントがバラバラ。必然、列が縦に長くなるので、時々先頭の西村先生が後ろを振り返りながら、ようやくギャラリーに着いた。
展示から学ぶ
最初に訪れたのは、目黒の住宅街に位置するブリッツ・ギャラリー。写真家トミオ・セイケによる写真展を見る。1930年代の折り畳み式蛇腹カメラ・スーパーイコンタで、イギリスの巨大桟橋「ウェスト・ピア」を写したモノクロ写真が並ぶ。モノクロ写真の魅力が感じられる展示だ。
ここでも受講生が「先生、この写真はセンターアップされていますかね?」と質問。「そうだね、横から首をかしげて見ると分かるよ」と西村先生。写真と額縁の間にある余白の部分をマットと言うが、マットの中央に写真をもってくるのではなく、少し上目に写真を配置する。それをセンターアップと言うそうだ。「目の錯覚で、中央に写真を配置すると、展示した時に写真が下がって見えてしまうんです。ですから、2〜3%上側に写真を配置するんですね」展示を見ることも写真を勉強する方法のひとつなのだ。
ギャラリーを訪れる西村さんと受講生
次に訪れたのは、目黒区美術館内にある目黒区民ギャラリー。日本のランドスケープ(風景)を様々な視点で捉えた新しい写真グループ「NODE」による展覧会「Japanese Landscapes Photography vol.2」を鑑賞。14名の写真家によるランドスケープ写真が展示されているのだが、プリント・額装の仕方はみな違っており、それぞれ印象が全く異なる。 「やはり写真は現像してみて初めて分かることがありますから」ギャラリーへの道中で聞いた西村先生の言葉が実感を伴う。
「自分の写真」を撮る
この日最後に訪れたのは、神保町のイタリアンバルBETTOLA SANBALとビストロ リベルテ。神保町の美容院や飲食店を会場にして年一回開催されるイベント「リトルエキスポ」の会場で、両店に受講生の作品が展示されているのだ。
額装して展示をするのが初めてだったという受講生のひとりは、「最初はお店の雰囲気に合うものを、と考えたんですが、初めての展示だし、自分が展示したい作品を展示することにしました」そうして選ばれた写真は、お店の雰囲気を引き立てながらも、インテリアと化すことなくしっかりとした存在感を放っていた。それは、西村先生が繰り返し言っていた「自分の写真を撮ること」を学生たちが実践しているからだろう。
「将来誰かに認められるために写真を撮っているわけではないですからね」「今の写真は今しか撮れないですから。ファインダーをのぞいたら、まずはシャッターをきってください」「上手い下手じゃないんです。自分が撮りたいものをとり続ける。それが大事なんです」ギャラリーへ向かう道中。みんなで食事をしながら。西村先生はそう繰り返していた。
店内に展示された受講生の作品
「モノ」としての写真
終日課外授業を取材して感じたのは、写真工房における写真とは「データ」ではなくプリントされた「モノ」だということだ。 西村先生は、デジタルカメラとフィルムカメラの違いについて、こう話す。「デジタルの場合は必ずしも、モノ作りにつながらなくても済んでしまいますよね。電源を切ってしまえば見えなくなる。もちろん、イメージを愛していればいいのかもしれないですが、自分の思いや時間をつめこんで現像した方が、自分の写真になるというのかな。納得のいくモノが出来るんです」
デジタルカメラが一般的になった今もフィルムカメラで撮影し、暗室での現像を続けることの意味については、こう話してくれた。「闇の中で作業することによって、光の繊細さや力強さをより感じることができるように思います。また、現像作業の際は、自分が撮影した時点に意識が戻るんです。過ぎてしまった時間を何度も思い返すことが必要になってくるんですね。それがいまだに楽しくて長年フィルムで撮り続けています」
「デジタルの場合、データを消してしまうと、あたかも自分が撮影した事実までもがなくなったかのように思えますが、本当に忘れてしまったら、自分が撮ったあの時間は何だったのだろうということになってしまいます。フィルムだと、捨ててしまわない限り、コマのなかに自分が押してしまったものが残ります。成功も失敗も自分の写真から跳ね返ってきますからね。やはり、失敗しないと上手くなっていかないし、その点、フィルムはどこで自分が失敗したかが分かりやすいと思います」
暗室の中の様子。現像された写真が並ぶ
撮りたいと思った瞬間の景色、光、時間、失敗、思いがけない成功、それらが全てつまっているのがフィルムであり、暗室での現像作業は、それらが全て印画紙に浮き上がってくる瞬間である。写真工房の受講生は、展示から学び、受講生の作品から学び、自分で現像した写真から学び、自分の撮りたい瞬間を写真という「モノ」にするため、日々格闘している。今日も、暗幕の向こうで写真に向き合う受講生の真剣な様子が、こちら側にも伝わってくるような気がする。
(※文中で紹介した展覧会は、すべて会期が終了しています)
▷授業日:毎週金曜日 13:00〜17:00
カメラの持ち方やフィルムの入れ方など、順を追って実習を進めていきます。「銀塩フィルム」による撮影、ケミカルをつかった手現像、バライタ印画紙への手焼きプリント、筆と墨による修正などが中心のカリキュラムです。