特別講義デジタルコンテンツ時代の著作権


同人の創作とプロの仕事~冲方丁氏の事例

齋藤 続いて、先ほど名前の出た、作家の冲方丁さんの事例について紹介しましょう。こちらは、音や視覚芸術ではなく、物語におけるストーリーを盗用したという事例です。ある新人漫画家さんが、冲方さんの小説の一部に酷似した漫画作品を発表し、それが雑誌に掲載されてしまったことで物議を醸しました。

吉田 冲方さんの書かれた小説をほとんど丸ごとパクりで勝手にコミカライズして、なんとそれが賞までとってしまったということですね。

齋藤 冲方さんがこの件に関してのコメントを自身のブログで述べているんですが、色々な示唆に富んでいて、なるほどと思わせるエントリーになっていますので、こちらを紹介します。えー、その前にまずこの件の前提なんですけど、『盗作』をした漫画家さん、そしてその漫画を雑誌に掲載してしまった編集者さん、この人達は正式に冲方さんには謝罪を済ませています。盗用の事実を認めているんですね。その上で冲方さんがどういうコメントをしたかという事なんですが …。

まず冲方さんは、『盗用』された事に関して、自分だけの裁量で許すことが出来る問題ではないことを指摘しています。『盗用』された冲方さんのオリジナル作品は、もはや冲方さんだけのものではなく、たくさんのお金が動いていて、色んな人達の人生も関わっていて、ビジネスの場に出てしまっているプロの作品であるからです。
ただ、損害賠償だとか法的な措置をとる事は考えていないとも言っています。正式な謝罪を受けた以上、法的な手段で制裁を加えたとしても、漫画文化の発展には繋がらないだろうと。
そして、先ほど挙げた同人文化の例も引き合いに出しながら、様々な私論を展開されています。創造行為というのは色々な人、過去の遺産の上に積み重ねられていくものであって、完全なオリジナルなものは存在せず、ある程度似た作品があることは仕方が無いし、そもそも創造するというのはそういうことなんだと。同人文化というのがオリジナル作品のファン・コミュニティの交流の場になっていて、文化自体の土壌を支える場になっていたり、アマチュアの修練の場にもなっていることなど、多くの意義があるというところは評価していて、過剰反応するのは良くないと言っているんですね。

その上で、先ほど紹介したように、実際にビジネスになってお金も動いているプロのルールと同人文化のルールは違うんだということも言っています。同人文化というのは何でも作りたいものが作れるすごく幸せな、ある意味とても豊かな、他方無責任な場なんだけれども、そこから出るにはかなりの覚悟が必要であるということ。そして今回は覚悟なしに出てしまったんだというようなことを示したかったのではないかと思うのですが…。如何でしょう。

吉田 凄くわかりやすいですよね。プロの方でここまではっきり言った人って今までいなかった。なんとなくお茶を濁した感じで緩やかに発言していたりはあったと思いますが。あと面白かったのは、これから先どうしていくか、未来の視点についても書かれていたことですね。

齋藤 そうですね。誰にも負けない独創的な作品を作ってくれといったようなメッセージがありました。

吉田 もう少し咀嚼すると、今ネット上でこういったパクリは発見されやすくなってきていて、検証サイトみたいなものが出てくるわけですよね。『キメこな』騒動なんかでもtwitterのまとめや比較のサイトが大量に出てきていて、そこでみんな感情的に「パクったらダメ!」という声がどうしても強くなってくる。確かにパクるという言い方をすると、その行為自体は倫理的な問題を孕んではいる。でも、そうした過剰な拒否反応を見ているとサンプリングという文化のポジティブな面が軽視されているのかなと思います。

齋藤 そうですね。法律的なところは横に置いておいて、サンプリング的な手法が文化に対してどういう面白さや意味があるのか、その辺りはもう少し掘り下げて考えても良いのかなという気がしています。もちろん、サンプリングに限らずにパロディだとか二次創作一般について言えると思うんですけれども、そもそも文化が人から人へ受け継がれていくものであるということは昔からの話で、それを過度な著作権によって、過去から脈々と受け継がれてきた文化の流れが断ち切られることになってしまうのは問題なのではないかと思うんです。