岸野雄一がいく!イベント巡礼
第3回目 SPARKS『TWO HANDS,ONE MOUTH TOUR IN JAPAN』


この連載はこれから岸野が行くイベントについて、勝手に予想したり期待したりを皆さんと共有するものです。 


Sparks2013


新春第一回目のイベントはアメリカのバンド、SPARKSの来日公演『TWO HANDS,ONE MOUTH TOUR 』を、8日のクラブクアトロに観に行きます。
http://smash-jpn.com/live/?id=1889

このスパークスというバンド、知ってる人は深く知っているが、知らない人は全然知らないというバンドです。いや、昨今の海外のバンドというのは殆どそうか。知ってる人しか追いかけない、というのは現代の音楽シーンでは当たり前になっているのですね。昔は例えば「イーグルス」とか「ビージーズ」でもなんでもよろしい、名前は知ってるが聞いたことがない、というものが多かったですが、現在は、名前は知らないし、音も知らない、という風潮ですね。全く関係ない平行世界が同時進行しているような。では言い方を変えると、スパークスは昔から、そのような平行別世界に住んでいるようなバンドであったといえます。

1972年のデビューですから、日本でいえば四人囃子とかと同世代です。トッド・ラングレンのプロデュースによるファーストと、セカンドは本国アメリカでリリースされましたがあまりパッとせず、イギリスに渡り、デヴィッド・ボウイやロキシーミュージックなどと同じ傾向の「グラム・ロック」という括りで紹介されてから、TV番組「トップオブザポップス」などに出演するようになり、一世を風靡する大人気グループになりました。

その時の映像を観てみましょう。

ちなみにチョビ髭を生やしたキーボードの人が兄のロン・メイル、ヴォーカルが弟のラッセル・メイルで2人は実の兄弟です。バックの人たちは時代によってコロコロ変わっています。実質、この2人がスパークスというバンドの実態です。

さて、いかがでしょうか? この兄のキョドッた雰囲気。まるで自分は何かの間違いでこの空間に迷い込んでしまったかのような違和感。この違和感感こそが、スパークスの本質であり、先ほど述べたような平行別世界の感覚を呼び起こさせるものなのではないかと思えるのです。弟がロック・バンドのヴォーカリストになりきって、その役割を誠実に全うしているのに対して、兄の方はまるでやる気がないような居心地の悪さを体現しています。まさに「スパークスにおけるロン・メイルの位置は、ロック界におけるスパークスの位置」という構図ですね。

この時期のライブ映像を観てみましょう。MCでバンド紹介をしているのが、ザ・フーのキース・ムーンと、ビートルズのリンゴ・スターという2大ドラマーだというのが豪華ですね。

このロン・メイルのやる気のなさ、という面白さは、様々なアーティストに影響を与えています。ポール・マッカートニーが、このロン・メイルの物まねをしている「カミングアップ」という曲のPVを観てみましょう。普通のミュージシャンは、ポール・マッカートニー「の」物まねをしてしまうものですが、ポール・マッカートニー「が」ロンの物まねをしているというのが、このPVの醍醐味です。

これまで彼らは23枚のアルバムをリリースしていますが、時代によってコロコロと音楽性が変わってしまいます。ロック全盛期にはビッグバンドや弦楽四重奏を取り入れたアルバムをリリースしたり、パンク、テクノ、ダンスミュージック、ゴージャスなバラードと、我々の期待を裏切るように、ジャンルを横断してきたせいで、音楽ジャンルのファン、例えば「僕はテクノが大好き」というようなファンはどんどんと離れていきました。しかし、どのアルバムにもスパークスらしさがあるから厄介です。「スタイルを変えていくのが僕の趣味」という発言もあるくらいですから、ファンにも覚悟が必要です。

シンセを多用したエレクトロニック・ミュージックの黎明期のPVも観てみましょう。この手のシンセ・ポップの先駆けとなった時代のものです。

では、どのアルバムにも共通する、そのスパークスらしさ、とは何か? それが言い当てられれば、このバンドの本質が見えてくるでしょう。

しかしながら、これまた厄介なことに、まるでタマネギの皮を剥き続けていくと最後には何も残らないように、その本質とやらは無いに等しいのです。彼らの別な発言で「僕らはスタイル信奉者だから、鈴木清順の映画のような、スタイルが内実を上回っている表現が好きなんだ」というのがあります。これほど読み取りにくい、解釈のしようがないバンドは他にありません。実験的なアプローチなど全く無しで、ひたすらポップ・ミュージックをクリエイトしているのに、その実質は分かりにくい。こんなバンドは他にはありません。ただ一貫して感じ取ることが出来る感覚は、この世界への違和感、居心地の悪さという事でしょう。

その違和感は、なにも音楽だけに限ったことではなく、映画の世界でも共通する匂いを嗅ぎ取って、フランスの喜劇映画監督であるジャック・タチから、彼の遺作(になるはずだった)「コンフュージョン」という映画に、2人揃って主演するというオファーを受けました。スパークスとタチによって共同で脚本が練られますたが、タチの健康上の理由で撮影は延期に、そして残念なことにクランクインする前にタチは亡くなってしまいました。

そのタチの最後の作品になってしまった「僕の伯父さんの交通大戦争」のハイライト・シーンを観てみましょう。

いかがでしょうか? スパークスの世界と共通する世界観が感じ取れたでしょうか? ラストでタチは傘をさしたまま地下鉄の入口に入っていきますが、人波に押されて戻ってきてしまいます。これは自分の意思に反して、何者かに連れ去られているような感覚を持った、スパークスのアルバム「プロパガンダ」のジャケットにも共通してある感覚だと思います。

さて、いかがでしょうか? 彼らは特に難しいことをしているわけではない、むしろ童謡なみにシンプルで分かり安い音楽をやっているが故に、逆に現実の世界の複雑さが面白可笑しく浮かび上がってきてしまうという、これは音楽の、ポップ・ミュージックの試みとして、非常に興味深い事例だと考えています。

岸野雄一