講師インタビュー 松蔭浩之× 純血四姉妹の四人(2008年度ヨレヨレアートコース[現:アートのレシピ]修了)



松蔭 会田くんと被らないようにと思ってさ。そんなこと考えなくても被らないですけどね。会田くんなんかいいよねインタビューで同じお金もらって(笑)。俺なんて二週間ぐらいかけて書いたもんね。泣きながら。

━━━十年経っていかがですか?美学校は学校というより色んな人が集まってくる場だと思うんですが?

松蔭 最高だと思うけどね。最高という言い方はどうかな。いやでもね、もったいないよね、もっと色んな人に知ってほしいよね。

藤崎 でも生徒側からするとあんまり多くいてもね。

━━━これぐらい四、五人ぐらいでもちょうどいいですよね。

松蔭 四人はほしいね。二人は辛かったね。基本二人が続いてるんですよ。ヨレヨレやる
前に僕は宇治野宗輝とゴージャラスというグループ名義で講座を持っていて、それが「肉体塾」という名前で、名前がよくなかったと思うんだけど。2002年から受け持った火曜日のコースだったね。

桐川 哲雄くんはそこにいたんですよね。

松蔭 木村哲雄は肉体塾の最終生。2005年度で、男三人だった。

桐川 哲雄くんが肉体塾っていうのも笑えるよね。

━━━似合ってますけどね(笑)。

松蔭 「ただ」といって、池田晶紀の下でバリバリアシスタントやってる、オレのアシスタントを経てイケのところ行ってるんだけど。それと舛田健太郎って、今カナダに留学しててメールでたまにやりとりしてますけど、その通称マスケンのね、制作に対するストイックさと卒業制作展でのパフォーマンスというか発表が、明らかに美学校の流れを変えた。本当に流れを変えた。あそこから面白くなったんですよ。美学校の「現代美術演習」が。それまでは教える講師陣たちも学生たちも何か暗中模索みたいのが続いてた気がするんだけど、どう考えてもマスケンが運んできた空気というか、不器用なんだけど印象に残るし、あれ以降僕らも自信がついた感じがするんだよね。
ここで何も無くても、無駄にでかい年季の入ったテーブルしかないところで現代美術の営みができる。これはみんな言ってますね、あの時の舛田健太郎を知っている人は。あの年は宇治野が半年やって、松蔭が後期の半年をやる……オレと宇治野があまり交わらなくなった時期でもあって、それで最後の年になっちゃったんだけど、宇治野の授業を半年受けた彼ら男三人を預かって、木村哲雄は具合が悪かったんで、来るんだけど二人相手に授業やってるようなもんだよ。スゴイよ、あの年は、結局何にもやらなかったのよ、授業らしいこと、半年間。ただ男同士でしゃべるっていう授業だった。それで飲みに行くっていう。でもあれだけ印象深い卒業制作展になったからね。それは各自がライフワークに取り組んだ、だから課題は出さない。その時その週のマイブームについて語り合うみたいな。

━━━その卒業制作展はどういうものだったんですか?

松蔭 舛田健太郎くんは、宇治野直系的でもあるかな、音がするオブジェっていうか、サウンドスカルプチャーをインダストリアルな感じでね。簡単に言うと、沸騰するとピーって鳴るケトル、やかん、あれなんですけどね。でももっと密閉型の鉄のタンクをヤフオクで落としてきたりしたやつを、毎週ガスコンロで熱するわけだ。それでバルブを溶接して付けたりしたやつから色んな音がする。仕舞いにはこんなでっかいボイラータンクを買ってきて、美学校名物のガスストーブの上にドンと置いて、爆発する可能性のある危険なことを日々実験してましたよね。それを「ただ」くんが撮影するみたいな。だから見てくれは小汚いんだけどそういう男らしいスチームマシン。「ただ」くんは、僕はずっと彼の写真にダメだししてたんで、デッサンと同じことを続けさせようと思って、「トイレットペーパーを撮ってこい」と言って、毎週彼が何らかの形でトイレットペーパーを撮ってくるわけよ。そこの暗室でいっつもギリギリまでプリントアウトして、「違う違うこういうことじゃない、もっと考えてこい」と言う。用はトイレットペーパーの質感を出したりだとか、陰影を出したりだとか、単純ゆえに難しい。それで結局「ただ」くんは、それを経て何かを作るということをやめて、今まで撮ってきたトイレットペーパーをずーっとプリントしては壁に貼るというパフォーマティブなトイレットペーパー写真インスタレーションをした。あれも良かったなぁ。

━━━お話を聞いていて見てみたくなりますもんね。

松蔭 素晴らしい展覧会だったよ。男二人のね。木村くんは体力的精神的な問題もあり、会場にはいたけど出展せずと。

藤崎 でも最近すっかり元気になりましたよね。

松蔭 元気すぎて困るね(笑)。ウザいぞって言って怒ってるよ(笑)。

藤崎 多分色んな所で怒られてるんでしょうね。

━━━純血四姉妹のみなさんは美学校の魅力って何だと思われますか?

藤崎 何も知らなくて入ってきても遮断される感じは無く、一から教えてもらえるというところ。変に格好付けたりとかしなくてすむ。知ってるふりとかしてたら全然学べないけど、そういうものが一切無いというか。何も知りませんと言って入れるところとか、専門学校とは違うし。

━━━入学試験も無いですからね。

藤崎 年齢もみんなバラバラだし、そういう人とも出会えるのも魅力だと思います。

古澤 何か生のことが聞ける。アーティスト、松蔭さんの生の声とか、今起こっていることとかの話がすごい近くで聞ける。本当だったら聞けないようなことが直で聞ける。

松蔭 ほとんどが愚痴なんですけどね(笑)。美術界とか社会に対しての愚痴を二時間以上は語ってるからね(笑)。

小澤 色んなところに連れて行ってくれたしね。他にはないんじゃないかな。

桐川 私は美大に行ってたことがあるんだけど、美大よりも実践的だし、今佐保ちゃんが言ったみたいに生の声が聞こえるというのもあるし、あと今まで何やってたのかなって最初思いましたね。美大とか行って、入るためにデッサンとかしてたのは、社会出てから何の意味も無いってわかったんだけど、本当意味なかったなって(笑)。

松蔭 そこまで言う(笑)。

━━━何か美学校って大学でいったらゼミじゃないですか。でもゼミとも何か違うんですよね。濃度が違うというか。

藤崎 あんまり先生と生徒という感じもしないし。

松蔭 あと、美学校に愛着を持った人ってさ、エバーグリーンだね。皆藤氏もそうだけど何か老けないよね。まあ成長しないのかもしれないけど。これも肉体塾の卒業生で、略歴を見たら嬉しいことに「松蔭浩之に師事」って書いてくれててちょっと小恥ずかしいんだけど。クドウヒロミね。クドウなんて何年美学校うろうろしてるよ?

━━━相当長いですよね。

松蔭 もともと版画をやってるべっぴんさんだったのが、気がついたら次の年に肉体塾に来て、僕らもまだコースを持ったばっかりで、本当に手探りの授業だったんですけど。確実に彼女は成長していったし、美学校に来なくても彼女は表現するメディア、ライブやったり展覧会やったりとか出来たと思うんだけど、何が言いたいかというと彼女も老けないよね。

━━━けど僕も最初会ったときの印象は若々しいなと、こう言うと逆に失礼かもしれないですけど。

松蔭 いやいや大事なことだと思うよ。朽ちないというかね。精神的にどこか不安定なところがあっても元気っていう。

━━━何なんでしょう。よくよく考えると不思議ですね。

松蔭 だってあの子だって美学校に来たのは一般の大学出てその後だからね。

━━━最後の質問に移らせていただきます。美学校に興味あるなとか来たいなと思っている人に一言ずつメッセージをいただけますでしょうか?

桐川 とにかく一回遊びに来ればって思う。来たらわかるよみたいな(笑)。

松蔭 いいね。大人な意見だね。

桐川 直感でわかる人はわかると思う。

藤崎 合う人は合うし合わない人は合わないし。

小澤 迷ってるぐらいなら来なさいって感じだよね。

松蔭 毎年この時期ってね。僕以上に藤川代表が一番心痛というか。

━━━この時期怖くて話しかけられないですもん(笑)。

古澤 最初入る時すごい迷ってあそこでずっと座ってた。一回見に来てもう一回藤川さん
に電話したら、優しく誰でもいいんだよって言われて、本当ですかと言って、来てみたものの、あそこの大原のところのベンチでずっとどうしようかなって一時間ぐらいいて、寒くなったから入ってきた。そうしたら藤川さんが色々説明してくれて、アートの話から色んな話をしてくれて、じゃあ見学してみようかなって。

━━━僕も初めて来た時すごく緊張して。この建物じゃないですか。階段上ってきて何だここはみたいな。

松蔭 そうかやっぱり緊張するかな。

藤崎 うち親が大丈夫?ここでと言ってましたよ。

━━━でもその緊張の向こうに広がっていた世界って、今思うとすごく面白かったですし。

松蔭 結果そうであってくれたら嬉しいけどね。美学校の中で特にこのヨレヨレは、というか僕は、ある評論家に言われたんだけど、村上隆や会田くんみたいに戦略家―大体現代美術って戦略家の勝ちじゃない―その中にニューヨークの留学とかも含まれてたりして、で僕って何にもないんですよ。たまたま若い時にラッキーというかヴェネツィアビエンナーレ世界最年少とかあってもね。それは僕が目論んでやったことではないから。たまたまラッキーだったんですよ。それが表すように評論家にね、「それでも松蔭浩之っていうのが何らかの形で現代美術に石を投じてしまうのは、戦略家ではなく戦術家だからである。」と。生きる術とか、表現する術を持ってる古いタイプのアーティストみたいなことを書かれたことがあって。でもまさに美学校自体がそうじゃないかと思うんだよね。藤川代表がもっと戦略家ならば、こうじゃないはずだし(笑)。

━━━確かに藤川さん戦略は無いけど戦術はありそうですもんね。

松蔭 何かしぶとくね。きれい好きだったりとかさ。美学校ってやっぱり清潔だと思いますよ。

藤崎 汚い感じしませんよね。

松蔭 古いだけで。ここで三日三晩寝てみろって言われたって怖くないし。

藤崎 怖いですよ。

松蔭 黒いソファー最高だよ。

桐川 怖いものはいそうな感じですよね。

松蔭 キリはそういうの好きだからでしょ。そういうのを見ようとするから(笑)。いやだから戦略が無いから呼び込みも難しいんですよね。ただそれを変に欲を出して、戦略家たらしめんとみんなが結束し始めると美学校の良さが薄れていくのかもしれないしね。

藤崎 本当に来てよかったと思う。ということだと思うんですよね。これから来ようとしている人に言うとしたら。

松蔭 みんながそう言ってくれるんならみんなは正に戦術を覚えたと思うんだよね。生きる術とか戦う術とか、もっと平たく言うとプレゼンテーションね。作って人に見せていく、作って自分を紹介していくという術をたった一年だけど身につけた。それはO Jun先生のところでもそうだと思うし、それが美学校の特質だと思うね。

━━━大学って四年ですけど美学校って一年じゃないですか。一年で完結させなければいけない。そこも大学とかとは違うところだなと思っていて、藤川さんなんかは逆に四年ぐらい美学校にいてほしいとおっしゃってるんですね。二年三年かけた方が見えてくると言いますか。

松蔭 僕はもう十年もいるから最近は耳にしないんだけど、最初に藤川さんが口癖のように言うのが、「最低でも三年やってみないとわからないのさ」とどこに根拠があるかわからないことをすべての講師や学生に語るんだよね。それで、僕は三年どころかね。何年、ここにいるんだ?今や、大家を心配して引っ越しできずにいる賃借人のような気分のみで、ここに居残っているような気もするよ。クドウなんかそうだと思う。心配なんだよね。

小澤 でも出会いなんですよね。本当にこの美学校は。この出会いが無かったらすごい人生変わってたんじゃないかって、人生変わった貴重な出会い。

━━━みんなそこは共通してますよね。僕も最初は生徒で入ってきたんですけど、今はなぜか広報ボランティアをやっているという(笑)。

松蔭 最初は何に入ってきたの?

━━━一番最初は内海信彦さんの絵画表現研究室で、そこに二年いて、翌年翌々年は受講はしないけど内海さんのクラスには顔を出すみたいな感じで、次の年に中ザワヒデキさんの文献研究に出まして、それも藤川さんに何か面白いことないですかって聞いたら、じゃあお前これ入れと言われて、じゃあはい、みたいな感じなんですけどそれがすごく面白くて。それで去年からシルクスクリーン工房に入って、それで僕がシルクの工房入る前に美学校に広報室が立ち上がりまして、今に至るという感じです。

松蔭 でも戦術を持つというキーワードを、特化させて言ってもいいと思いますよ。戦略だけでも何かできるかもしれないけど、僕はそれはアートではないと思うので、やっぱりたった一人の人間が不器用でも何かこう人を面白がらせる、びっくりさせるものを作る術をまず身につけましょうっていう意味でのアカデミックな姿勢が美学校にはある。

━━━本日はみなさん本当にありがとうございました。
松蔭さんは九月に市ヶ谷田町のミヅマアートギャラリーで新作展、純血四姉妹は十月に場所は未定ですが展覧会を開催する予定だそうなのでみなさん是非お越し下さい。(※このインタビューは2010年の収録です)