講師インタビュー/斎藤 美奈子(ビジュアル・コミュニケーション・ラボ)



━━━まずは「ビジュアル・コミュケーション・ラボ」という講座名についてお伺いしていきたいと思います。

ビジュアル・コミュケーション・ラボ」は、美学校の枠組みですと、「現代メディアトレーニングA」という枠組みに入っています(※現在は『現代美術』)。そこの枠組みに入っている講座はユニークなものばかりで、例えば「ヨレヨレアート」ですとか「超・日本・アヴァンギャルド論」等がありますが、「ビジュアル・コミュケーション・ラボ」はこれらの講座名とは雰囲気が違って、カッコいいなと思わせるようなネーミングなんですけど(笑)なぜ「ビジュアル・コミュケーション・ラボ」という講座名になったのでしょう?

実は、そんなに深い理由があって付けたのではないんだけど…(笑)。まず、ものを作るっていうことを、視覚でコミュニケーションを取るための、まあ、一つの手段と考えて。美術を通して社会と関わるための「訓練講座」のような、そんな位置付けのものを想定してつけたんです。

━━━視覚芸術を通して社会と繋がっていくための、という意味を込めて「ビジュアル・コミュケーション・ラボ」と。

そうなんです。社会だけじゃなくて、もちろん隣の人ともっていうことですけど。

━━━そういう広い意味でのコミュニケーション。社会だけでなくて、人も含めて。

そうですね。

━━━それと美学校のパンフレットにも講座内容というのが書かれているのですが、具体的に授業ではどのようなことをなさっているのでしょうか?基本的には、作品制作、つまり構想から出発して作品を作って、どのように発表していくか、という授業だと思うのですが、具体的にどういう風に進めていくのでしょうか?

私のクラスは、これは美学校の良いところで、他のクラスも大方そうですけど、小人数制です。カリキュラムをだいたいは作ってありますけど、ひとりひとりに合わせて進めていくことを基本としています。カリキュラムに添って1ステップ、2ステップ、3ステップ目があって、完結、修了!みたいな進め方ではないということです。受講生と話し合いながら進めていくという感じです。

━━━基本的には受講生がどういうものを作りたいのか、というのをサポートしていくと言いますか。話しながら一対一で、という感じでしょうか?

そうです。これまでも、絵を描いている人もいれば、ドローイングばかりをしている人、立体を作っている人、ビデオだったり、あるいは写真を撮っている、インスタレーションをやっているとか、いろいろなケースがありました。ただそれは表現の手法であって、どういう手法をとっていてもいい。手法にとらわれず、一年かけて自己表現ができるように、一年だと実際にはなかなか難しいんだけど、自己表現するための糸口だけでもまずつかまえる、というようなことが主な目標ですね。

━━━YさんとTさんの修了展は一昨年でしたっけ?美学校でやった。

泥を使った作品と、天井から布を吊るしたインスタレーションでしたね。

━━━その時の授業はどんな授業をされていたんでしょう?

Yさんは絵も描くし、立体も作る人で、でも絵というのが、なんていうかな、触覚的な要素が強い絵で。体感できるようなものが、彼女の感覚に合うのかなという印象を最初から持っていました。立体も作ってみたいという話が出て、最初に彼女が作ったのが哺乳瓶のくわえるところ、つまりおしゃぶり。で、おしゃぶりを沢山作り始めたのね。「おしゃぶり気にいってるんです」(笑)って言って。それで、おしゃぶりをどうしたいのかと聞くと、おしゃぶりを沢山作って、サラリーマンみたいなスーツを着た男の人にくわえさせて、それでパフォーマンスをしたり、それを映像にしたりしたいって言っていましたね。その頃、絵も同時に描いていたんですけど、どちらか片方だけに限定するのではなく、絵を描いたり、ぐちゃぐちゃと立体を作ったりということを交互にやりながら、最終的に土を使って何かしたいというところへ発展していってました。で、美学校の隣の公園で穴を掘り出して(笑)。

━━━(笑)

土はどうしようか?って聞くので、隣で掘ってくれば?って言ったら、バケツ持って穴堀りに行ってましたね。それで、水と混ぜてくちゃくちゃ粘土を作りだしたんです。でもそのうち、あんまり掘ってると怪しまれるんじゃないかっていう話になって、ん〜そうだねぇ、じゃあ人が居ないときに掘るしかないかって…(笑)。こんなことを授業中に真面目にやっているわけなんです。

━━━(笑)

そのうち、パフォーマンスとかじゃなくて、それをもっと大きなものにしたいと彼女が言い出して、最終的には、ショベルカーを使って千葉の方から大量の土を運んで作品にすることになったわけです。

━━━お父さんと(笑)。

お父さん、おじさん、近所の知り合いとか、みなさんに手伝ってもらって作品にしたという感じでしょうか。私のクラスでは、ある程度はもちろんアドバイスしますけど、ああせいこうせいと言うような、具体的な助言は最小限になるように気をつけています。ついつい、あれこれ言っちゃうんだけどね(笑)。

━━━ではその人が持っている可能性みたいなものを、こっちがいいんじゃない?と言うのではなく、その人自身が探っていくのをサポートするという感じでしょうか?

そうですね。さっきのYさんの話でいうと、最初はおしゃぶりだった。けれどもおしゃぶりの案が生まれ、おしゃぶりを作ってみて、すぐそこからおしゃぶりの次が見えるような形を私が引き出すと、ああいう修了展の作品には、たぶんならなかったと思います。おしゃぶりを作って、次に絵も描いて、で、またおしゃぶりがもっと大きくなったようなものも作って、という過程の中でインスタレーションになっていったのだと思います。

━━━あの展示を見ていて思ったのが、自分がやりたいことというか自分に合う方法を考えていって、でその元を突き詰めていって、それを表現にしているのかなみたいな。なにかそういうものなのかなというふうにこの前の修了展を見て思いまして。

美学校に来る人は、興味の方向がすでにある程度固まっている人も多いので、その分情報をたくさん持っている印象があります。例えば、こういう傾向の作品が今流行っているとかいうような、自分の内面の問題ではなく、外側からの要因に左右されていると感じることもあります。もちろん、いろいろなものを外側から吸収していくことも大切なわけですけど、じゃあ本当に自分は何がやりたいのかという、自分の中を掘り下げていく作業を一度はしっかりやらないと、作家として作品を作っていくことは難しいと思います。

━━━流行に流されずにまず礎をしっかり作る、と。

そういうことですね。そこから後は、掘り下げただけでは作品を作ってはいけないわけなので、少しずつ削ぎ落としていったり、なにか加えていったりという作業が当然必要なんですけど。まずは、自分の中に何があるか、何をしたいかということを自分自身で確認しないといけない。それはまわりが何と言っても、自分で確認しないことには、そこから先のステップには進めないと思うんです。

━━━自分自身を問い直しながら、自分の表現は何なのかというのを探して行く。

まさにそういうことですね。まぁ、やりながら徐々になんですけど。

━━━ではその何かを学んでいくというよりも、プロセスを歩むことによって、自分に合った表現を見つけていくというような授業であるということでしょうか?それとやはり美学校のパンフレットにも書いてあるように、作品を作ったことがある人も、作ったことがない人も、いろんな人に門戸を拡げていますが、例えば対象にしているのはこういう人でというのはなくて、どんな人でも?

もちろん、どんな人でも対象にしています。これは美学校の特色でもあるのですが、それまでほとんど特別な美術教育を受けたことのない人でも、作家としてやっていける基礎的な技術とか知識とか感覚とかを磨いていける。そういうクラスにしたいと思っています。修了展の話に戻りますけれども、さっき話に出た、もう一人のTさんという、布を使ったインスタレーションを作った彼女は、美学校へ来た当初、作品を作るという経験がほとんどなかった人です。毎回、授業の度に「どうすればいいんでしょう?」というふうで、不安な眼差しを私に向けていたのを良く覚えています。彼女は3年通って、最終的には、とっても面白いインスタレーションを作るところにまでなっていました。

━━━そうですね。なんだかあの先を見てみたい、という展示でしたね。お二人とも。

そうなんです。二人とも、これからが本当に楽しみです。

━━━ではビジュアル・コミュニケーション・ラボの魅力といいますか、これは来たら楽しいぞというところは何でしょうか?

もう、それは楽しい!(笑)楽しいっていうのは、面白可笑しいという楽しさではなくて、何かやりたいんだけどどうすればいいのかなと、何かこうフツフツ、ウツウツしてるっていう人にとっては、すごく楽しいところだと思います。例えば、美味しそうにりんごを描く方法は、私の授業では覚えられないかもしれませんが、りんごを使って何かしたいと思っている人にとっては、絶対に楽しいと思います。

━━━何か疑問やわだかまりがあるんだけど、自分ではどうしようもできない。それでも何か表現してみたいっていう人にとっては楽しい?

そうです。で、ここには私だけではなく、いろいろな人たちが集まって来るので、そういった人たちと関わって、もちろん、広い意味で美術や芸術を介してなんだけど、そうしているうちに徐々に、自分の中にあるウツウツやフツフツしているものが、自分の中から引き上げられてくる。そうすると、あっ、美味しそうなりんごの「美味しそう」って、いったいどういうことなんだろう?自分にとってのね。どういうことが自分にとって美味しそうなのかが見えてくると思うんです。そして、その「自分にとって」が見つかると、今度は「他の人にとって」の美味しそうとは、どういったことなんだろう?ということに意識が向かう。次にじゃあ「社会にとって」はどうなんだろう?というように、どんどん自分の意識が広がって、同時に考えが深まっていくことに繋がっていくと思います。

━━━そのプロセスを辿れるということが魅力といいますか、その疑問をどんどん辿っていって、逆にどんどん広がるみたいな。そういうところでしょうか。

毎回、すごくサプライズがあるわけじゃないかもしれない。私のクラスに入るともうこんなすっごいことがあって、絶対リターンばっちり、授業料の元は取れるよ!みたいなことではないかもしれないですけど(笑)。ものを作る人になっていくときに、絶対必要になる核みたいなものがあると思うんだけど、それがちょっと掴みきれてないかな?と思っている人にとっては貴重な時間になると思います。

━━━では授業から一旦離れまして、斎藤先生の美学校の出会いといいますか。最初に美学校へ来たときの印象をお伺いできますでしょうか?

印象?第一印象は「きったいないなぁ〜ここ!!」(笑)

━━━(笑)

掃除したことないの、ここ〜!というのが第一印象ですね。美術系の大学とか、専門学校とかは、みなどこも授業で作業があるので汚れていると思いますけど、美学校は一段と汚い。でも、よく見ると、いろいろなものが長い年月をかけて蓄積されていて、それを大事にしているところからきているんですよね。それが、ある種の雰囲気を醸し出していていいの。

━━━ボロいですよね(笑)。

そう(笑)。そのボロさがね、なんて言うのかな、味に繋がるボロさなの。そこが分かってくるととっても好きになるんです。

━━━最初に美学校をご存知になられたのは?

最初、小倉正史さんの授業にゲストでお邪魔したのが初めです。

━━━それで、初めて美学校に来て「汚い!」と(笑)。

なんだここは!?って(笑)。

━━━それから2006年からなぜ講座を受け持つことに?

校長の藤川さんから「何かやらない?」って誘われて(笑)。何でも好きなことやっていいからって言われて。「本当に好きなことやっていいんですか?」って聞いたら、何でもいいっていうことで、お引き受けしたのが始まりです。

━━━オファーがきた理由はなんだったと思われますか?

何でしょうね。特段、理由もなくなんじゃないかな(笑)。ただ、私は写真を使って作品を作っているんですけど、写真家っていう捉え方はされないし、インスタレーション作家なのかというと、そういうばかりにも言われない。最近は、皆藤さんにもこの間手伝ってもらったようなビデオ作品を作ってみたり、いろいろなことを垣根を作らずにやっていたい方なんです。授業もそんな緩やかなくくりのものが展開できるかもしれない、と思われたのかもしれません。

━━━たぶん2004年とか3年とかですと、講師の人たちも男性ばかりでしたしね。

そういう意味では、私のクラスの受講生は、最初、全員女性でした。

━━━そうなんですか。

今まで女性が基本的に多いですね。もちろん、男性も大歓迎なんですよ(笑)。

━━━では五年ぐらい美学校にいらっしゃって、美学校ってどういう場所だとお思いになられますか?

学校っていう名前が付いていて、もちろん学校であることは確かなんだけど。ミーティングポイントって言うとちょっとラフすぎるかな…。そこへ行くと何かがあるとか、何かが起こるとか、誰かに出会えるっていう感じの場所。そういうことを含めて学ぶと考えているとしたら、それはもう、ぴったりなところだと思います。結果がすぐ出ることを学ぼうと考えると、少し期待はずれかもしれないけど。やっぱり、何かが起こる場所なんだと思うな。まぁ、昼は酒はないけど、夜からはみたいな(笑)感じのあるところかもしれませんけどね。

━━━広場とサロンと飲み屋を合体させたような。

もちろん、それだけじゃないんだけど。そこに、美術/芸術が介在しているという。そういうところなんだと思います。で、それを面白いと思う人がいろいろ集まって、あーだこーだいろんなことを言って、また、そこから派生するいろいろな出来事も、やっぱり他じゃ起こらない、美学校ならではのものなんだと思います。それは、壁塗り直してよ〜と思うような、お世辞にも立派とはいえない校舎で、でもその分、いろいろな人が残していってくれた永い時間をかけて蓄積されたものと、混沌となって出来上がっているんだと思います。

━━━美学校の受講生には様々な人がいますが、受講生じゃない色々な人も集まってくる場所ですよね。色々な人がいてすごく楽しい。

なんでこういう人たちが!?っていうような、多様な人たちが集まっています。

━━━こういう人たちまで繋がってるの!?みたいな。

何て言うか、ちょっと格好よく言うとキーステーションなのかもしれないし。そういう場所なのかな、と。

━━━では折角、展覧会場でお話をお伺いしているので、作品についてもお伺いしたいなと思います。今回は写真の作品ということで、展示の意図としてはどういうものがあるのでしょうか?

ちょっと恋愛ものっていう感じなんです

━━━恋愛もの。

そう、恋愛もの(笑)。今回はストイックにコンセプトを煮詰めて、それに沿って作った作品とは少し違うんです。ここ数年「Memory」というシリーズで作品を作っているんですけど、このシリーズ作品は、私以外の誰かが見たものとか見たであろうものを、私がその人に代わって写真にするという作品なんです。例えば、病院に入院している患者さんが見たであろう病院から見える風景だったり、里山のおばあちゃんが若かった頃に見たであろう情景だったり、亡くなった母が昔見たと思しきものだったりを撮影して作品にしています。それは、ほかの誰かの記憶を視覚化するということなんですけど、他者の記憶をカメラを使って反復するっていうか、トレースするような行為とも言えるわけです。

ただ今回は、他者の記憶をトレースするとかではなくて、自分の身に起こった自分の記憶を反復してみようと考えたんです。で、今まであまり作品のなかで見せてこなかった、セクシュアリティに関する題材を取り上げてみたんです。以前、皆藤さんにも手伝ってもらったヌード写真を含んだビデオも、同じ性に関するテーマの作品ですけど、今回は、自分の記憶を作品にホワンと乗せてみたのです。

━━━それが恋愛的、ということに繋がって淡い感じが出ていますよね。淡いという言葉が合ってるのかわからないですけど。

あまり露骨なものにしたくはなかったので、少し甘いベールが掛かっているぐらいにしようと思って作ったんです。

━━━こっちの作品は、さっきキャプションを見たら無題になっていたと思うんですけど。こっちとは別なんでしょうか?

そうです。ここの一部屋は、あのヌード作品の辺りまで一続きで、奥側の作品は小品としてサクサクッと撮ったものです。ヌードは皆、皆藤さんに手伝ってもらった時に撮ったものかな。

━━━では別に全部ここからここと分けているわけではなく、一応全体としてつながっている?

奥の無題になっているところは別で、他はひとつの繋がりを持った作品と考えています。タイトルが「Memory」となっているところが一個で、向こうの小品は別ということですね。

━━━星の王子様の文章が入っていたり。

かわいいでしょ?ふふふ。皆藤さん、フランス語得意でしたっけ?

━━━いや、フランス語は去年、ヨーロッパへ行く飛行機の中で何時間かかけて文法書一冊制覇したくらいで、もう忘れちゃいましたね。

一応そこに訳があるんだけど…。恋愛とか愛情について書かれた本から文章を抜粋しようと思って、いくつか見繕ってみたのね。もっとこう難しいやつとかも、哲学者が書いたようなものも候補に挙げたんですけど(笑)。結局は、わかりやすいもので、あまりダイレクトな表現じゃないものに落ち着きました。

━━━それでなんですね。セクシュアリティという話が出ましたけど、なぜセクシュアリティ、恋愛や愛情というところに視点が向いたのでしょうか?

今まで、そういった視点を作品の中へ入れ込んだことがなかったので、やってみたいという気持ちがまずありました。さっき触れたように、他の誰かの記憶を自分が追体験しながら作品を作ろうとすると、その人に直接会ってインタビューしたり、古いアルバムを見せてもらったり、あるいは色々な人に話を聞いて歩いたりといったことをまずします。その人がどういう人生を歩んできたのかを知るためなんです。あぁこんなことがあって、こんなふうにして、こうやって年を経てきたんだなぁ、ということを追体験していくわけなのね。そうすると、人の人生のなかで性に関することも避けて通れない。このことに目が向くのは、自然な流れだったと思っています。

━━━では作品を今まで作ってきた中で、採り上げなかったものもやってみるというスタンスでしょうか?

ひとつはそうですね。2009年の美学校展の時にした出品したDVD作品も、今まで触れてこなかったテーマなので、この際Hビデオを作ってみちゃおうかな、というのが最初でした…(笑)。

━━━言ってましたね(笑)。

周りからは、これじゃ生温いっていう評で。全然H度物足りないよーって言われましたけど(笑)。

━━━(笑)逆にHになり過ぎても。

女性の美術作家が作るHビデオなわけで、別な用途がある、っていうと妙ですけど、そういう類いのビデオを作ろうとしたわけではないわけです(笑)。

━━━はい(笑)。それと、写真とか映像とか、インスタレーション的なものを含めて、なぜ、そういう表現媒体を選ばれたのかをお伺いできますでしょうか?

実は、若い時は絵描きになりたかったんですね。それで油絵を描いていました。でも、どうもそれが性に合わなかった。う〜ん、なんでかな?(笑)。

━━━なんでですか?(笑)。

なんでかな…。改めて聞かれると、どうして絵はだめで、写真だったのかっていうのは、よくわからないところがあるんですけど。

━━━写真というのは、例えばいつ頃から撮られていたんですか?

大学入った頃から撮ってましたね。ただ、それを作品にするっていう発想は当時あまりなかったかな。ただ、作品に社会性を持たせたいというのはすごくあったんです。もう本当に若い時から。20歳ぐらいの頃からかな。それが絵を描いていると、どうしてもどこかで繋げられなくて、自分の心の中にあるものは外へ出せるんだけれど、じゃあ社会性を持たせた作品にするにはどうすればいいんだろう?と、考えた時に絵だとうまくいかなかったわけです。それで、最初はコラージュみたいなものを作ってました。

━━━それは絵でですか写真でですか?

どちらかというと写真ですね。新聞とか雑誌の写真を切り取って紙に貼ったり、立体のプレートを作ってそこに写真を埋め込んだり、っていうようなことをやっていました。そんなことをやっているうちに、印刷物の写真は大きさに限りがあるし、こういうのが欲しいとなった時に、必ずしもピッタリのものを見つけられるわけでもない、著作権の問題なんかもあるので使える物が限られちゃう。じゃあ自分で撮っちゃおうかな、というのがだいたいの始まりですね。

━━━なるほど。そしてさらにどういう流れを経てここまで来たのでしょうか?

最初、写真をコラージュとかに使っていたのが、徐々に独立していって、そこから写真を立体的に組み立てて作品にするようになっていったんです。

━━━コラージュの延長?

コラージュの延長というのとはちょっと違って、使っていた写真は、写真としては結構大きいサイズで、天井から中空にぶら下げたり、大きなガラスに挟んで壁へ立て掛けたりしていました。そこへ写真以外の別な関連するものを加えるようになっていったんです。例えばお米。その頃丁度、米の輸入が解禁されてタイ米が大量に余ってたんです。で、商社からたくさん提供してもらって、3トンぐらいもらったのかな。お米を山にして、戦争中にアジア圏で撮られた写真と抱き合わせた作品なんかを作ってました。花なんかも使いましたよ。バラの花。それも3千本ドライフラワーにして。もう死ぬまで絶対バラの花は見たくない、って思いながら作ったのを覚えてます(笑)。つまり、これは物と写真を抱き合わせたインスタレーション作品なわけです。で、そのあと光を使うようになりました。照明を写真の後ろから当てて、大きなフィルム状の写真なんですけど、画像が光で浮き上がって見えるようなものです。それから徐々に紙のプリントになってきた感じでしょうか。

━━━それで「Memory」に移行していく?

光を当てて見せるタイプの作品は、もう「Memory」のシリーズでしたね。精神病院のシリーズです。今に繋がる写真もその辺が出発点といえるかもしれません。

━━━ありがとうございます。では今を経て、今後の斎藤美奈子の展開といいますか、斎藤美奈子はどこに行き着くのでしょうか?

Hビデオを極める…とかだったりして(笑)。

━━━(笑)

それは冗談として、そうですね…。今、抽象的な写真を撮ってみたいと思っています。写真というのは、どんなものを撮影しても対象物が必ずあるわけです。例えば空を撮っていて、何も映ってないような青一色の画面だったとして、絵ならそんな画面が抽象画として成り立つところがあるわけだけど、写真の場合、雲ひとつない青空の写真でも、空を撮ったということがどこかで見る人に伝わるわけです。でもそういうのじゃなくて、すごくこう、「何」というものが映っていなくて、でも伝えられるような写真を撮るというか、作ってみたいなと思っています。

━━━それはどうしてでしょう?

う〜ん、いろんなことをあれこれやってみて、結局、写真を使って光を捕らえたい、という思いがあるんです。光りを作品の中に捕らえて、定着したいという気持ちがずっとあるんです。もちろんそれだけがテーマではなくて、誰かの人生を彷彿させたり、社会的な問題意識を内に持っていたり、いろいろな要素が絡んでのものということなんですけど。その上で、本来光は手に取れない、留めておけないものなわけだけど、それを捉らえてみたいわけなんです。写真の後ろから光を当てたりというのも、そういう思いの現れかもしれませんね。今回の個展も見に来てくれた人から「撮ってる物は実は何でもよかったりするの?」と聞かれて、そういうところもなきにしもあらずだなと感じています。撮っているものを取り囲んでいる空間とか光とかを撮りたい、画面の中に残したいっていうのが、常にあるんです。物体を撮るとどうしても物の方に目がいくわけで、実はそれを省きたくなってくるんです。どんどん抽象化したくなってくる、そして光だけになっていきたい。

━━━確かに。そう言われると今のこの作品を見ていても、抽象化していっている途中と言いますか。

そうなのかもしれません。以前作った光を通して見せる写真は、暗いところでホワンと光を当てていたんです。でも、今度はだーっと強い光を使いました。まぁ、今回のは、写真の画面のなかで感じさせる光の量の話で、実物の光は作品の要素としては使っていないわけですが。

━━━今後はそういう方向で。

写真を使っての表現になるのか、例えば静止画じゃなくて動画になるのか、インスタレーションになるのか、絵のようなものにするかも知れないし、どういった方法で表現していくかはわからない。でも、根底にある考えは、そういう方向になると思います。

━━━興味深いですね。お話を聞いていて作品を実際に見ていると、そういう方向性が見えてくるようなお話だったので、実際作品を前にして聞けて良かったです。それでは最後に美学校に来てみたいという人に向けて何かメッセージをお願いできますでしょうか。やっぱり美学校って敷居があるんですね。僕も最初来た時緊張したんですけど、色々な人に聞いたりすると、私も緊張したんですっていう人がいて。

それって問題ですね(笑)。

━━━作品を作りたいなと思っている人や何かやりたいなって思っている人、美学校ってどういうところなんだろうという人に向けて。

とりあえず見に来て、いろいろな人が来ているので、その人たちとちょっと話してみる。まずは、美学校を体験してみるというのが、一番かなと思います。そうすると絶対好きになると思いますよ。

━━━ですね。恐らく他にないですもんね。40年歴史があり。新しくてそういうオルタナティブスペースみたいな場所は沢山あると思うんですけど。貴重な場所と言いますか。

本当にそうですね。貴重な場所ですね。

━━━はい。それではインタビューはこの辺りで終わりたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、どうもありがとうございました。

Saitoh Minako

▷授業日:毎週火曜日 13:00〜17:00
作品制作を中心に、現代美術に関する講義を交えて進む講座です。制作を通して、美術作家としてのものの捉え方や考え方も学んでいきます。まず、ゆるやかな方向性をもったカリキュラムを用意します。とにかく、何か作ってみる。そこからスタートです。