ヨレヨレアートコース松蔭浩之先生と純血四姉妹による座談会出席者:松蔭浩之講師、純血四姉妹(2008年度ヨレヨレアートコース修了)、皆藤(美学校広報室)
松蔭 これ(『彷書月刊』2009年9月号)知ってる?特集「美学校のあれから十年」、これに僕も美学校について4000字書いてるんですよ。で僕が美学校に関わるようになった十年前から、ヨレヨレがどういう成りゆきでできたか。それを文章じゃなくて言葉に直して言うと、ヨレヨレは2005年なのね。2005年は昭和40年会のメンバーがちょうど40歳になる年だったんですけど、40年会の40歳ということで「40×40」という名前をつけて、一年間展覧会とかイベントとかネットで連載を始めたりだとか、何でも一年間やろう、みんな忙しいけど昭和40年会というグループ名義で極力やろうと。メンバーが会田誠や小沢剛も含めて七人いたんだけど、七人それぞれ40歳になる誕生日が来るじゃないですか。でその誕生月、誕生日には、その人名義のイベントをやるとか、そういうプロジェクトをやっていたんです。ヨレヨレはそれの一環だったんです。それで美学校でも一年間40年会の講座を持とうと。で、それの名前が「40×40」=「ヨレヨレ」ということでスタートしたんです。その年はすごく学生が集まったんですよ。やっぱり会田くんの人気とか、それ以上に明和電機の土佐正道くんがいたんでその人気もありましたね。定員埋まるぐらい、12人とか来てたかな。その意味では常に学生が少ない風前の灯火の美学校を立て直すという意味でもよかったと思います。しかし次の年も40年会でやったら学生は激減。どういうわけかは知らないよ。しかも二年目でメンバー全員のモチベーションは落ちてて、土佐正道くんにも後期の授業を担当してもらう約束だったんだけど、来ないどころか連絡も取れなくなって、で、僕がずっとやる事になっちゃったんですよ。たまに会田くんに来てもらったりしてたんだけど、36回のうち30回近くを僕が担当した。学生に嘘をつくのは一番よくないから40年会名義でやるのはやめて、ただヨレヨレという名前がユーモラスというかいい名前だなと思ったのでそれを残して、三年目の2007年度から初めて僕個人名義の松蔭浩之のコースとして「40×40」からカタカナの「ヨレヨレ」に変えた。それがヨレヨレアートコースの名前の簡単ないきさつです。 皆藤 ありがとうございます。今ヨレヨレアートコースでは三田村光土里さんと倉重迅さんもゲスト講師として来ていただいていると思いますが、どういう経緯で美学校に呼ばれたんでしょう? 松蔭 二人ともすごい仲良しでもあるし、ここにも書いているんですけど、「2007年から松蔭浩之個人の講座としてスタート、名前も『ヨレヨレアート』とマイナーチェンジして、ここで一人で務め上げる事の不安とこの学校には女性の講師が少ないということが問題であると思い、旧知の三田村光土里に基本の月末講師として参加してもらった。」と。 皆藤 では2007年からお二人がヨレヨレに? 松蔭 で、倉重くんは2008年から。映像を使ってアートをやるっていうのは必須になってきてると思うのね。例えば若い世代はニコニコ動画を使ったりだとか、初出しの作品をYouTubeでぶつけてみたりだとかね。いまUstreamの時代でもあるでしょ。だから映像とコンピュータとネットワーキングっていうのをカリキュラムの中に入れないといけないし、いつまでもアナログ、ローテクにこだわる必要も無いかなと。僕もできる限りではやってるんですけど、専門ではないんで、でその時に倉重自身がやりたいと三田村さんに言ってきたみたいで、彼は映像強いしね。試しにやってみなよと。そうすると彼も居心地がいいみたいで、誰が言い出したか知らないけど今年度から独立して講座を持つことになったよね(笑)。で話が飛ぶけどキリ(桐川)が希望してるんだって? 桐川 そうなんですよね~ 松蔭 若い男が好きなの?(笑) 藤崎 ダメ男が好きなんです(笑)。若い男じゃなくて。 松蔭 なるほどね(笑)。やっぱり倉重くんはアーティストらしいよね。ダメ男のかなり代表格だから。 桐川 ダメ男は好きですけど... 小澤 でも厳しいんですよね。 藤崎 すごいストレートに言ってくれるので。 松蔭 それで意外と保守的なんだよね。やっぱり育ちがいいというか。坊っちゃんだから。暴れたりする割にはコンサバなんだよね。だからそういう三人のトライアングルで、援助を二人に求めたというよりは、36回僕だけだと行き詰まる時もあるし、僕も海外に行ったりだとか展覧会の準備で忙しくなる時も毎年必ずあったんでね。そういう時のウルトラセブンのカプセル怪獣というか(笑)。そういう点では三田村さんと倉重くんとのトライアングルは、僕の中では受講生たちにとって絶妙なパワーバランスじゃないかなと思っています。 皆藤 では実際ヨレヨレアートコースではどのような授業を行っているのでしょうか? 松蔭 毎年ケースバイケースですよ。学生によっても変わってきますし。池袋にある創形美術学校というところでも教えていますけどあっちの経験で思うのが、あっちは専門学校なんだけどこっちは私塾で自由じゃない。自由に耐えられない人が多い年ってあるんだよね。創形美術学校みたいな専門学校だったらカリキュラムをこなすということで授業は成立するけど。何が言いたいかっていうと美学校は毎年違うわけですよ。個人差というよりもこの学年は暗いなとかこの学年はトロいなとか盛り上がるなとか、一つに束ねることができるんですよ。 皆藤 ちなみにここにいる純血四姉妹がいた時の印象は? 松蔭 これはもうヤバいなと(笑)。 藤崎 ヤバいって何ですか(笑)。 松蔭 だってこの娘たちは自主性がすごかったもんね。最初ヤバいなって思ったのは、主義主張、ファッション見てもわかるんだけどね、自分ていうのがある程度見えてる人が来て、しかも全員女性だとぶつかるなと思って、そのクッション役をやらされるんだなこの一年は、みたいなね。ていうのがあったんですけど、回を増すごとにむしろ助けてもらったというか、そういう年でしたね。 皆藤 基本的にはアーティスト志望の人たちが集まってきて、作家活動の根本となるような事を授業で教えていくと?
皆藤 ではいかがでしょうか。一昨年ですかヨレヨレにいらっしゃったのは?こういうのは楽しかった、これは大変だったなどありますでしょうか? 松蔭 一番最初に「セルフポートレイト」をやるよね?これは毎年小手試しという感じでね。 藤崎 私の場合は全く現代美術を知らないで入ってきたので。その言葉も知らないぐらいの勢いで。 皆藤 ちなみになぜヨレヨレを受講しようと思われたんですか? 藤崎 ネットで私のやりたい事は何なのかと思って検索してて、現代美術っていうのがなんて呼ばれているのかわからなくて、調べたら現代美術っていう言葉だったんです。それで学校検索して、四ッ谷の学校と美学校ぐらいしか出てこなくて、美学校だなと思って入りました。それで現代美術演習で斎藤美奈子さんのクラスと松蔭さんのクラスを、何となくフィーリングというか直感でヨレヨレだなと思って入りました。 皆藤 実際入ってみていかがでしたか? 松蔭 忌憚なき意見を(笑)。ストレートな、実直な意見を(笑)。 藤崎 まったくやったことの無いことばっかりやっていたので楽しかったですね。 松蔭 オザキョウ(小澤)なんかは前の年に見学に来たもんね? 小澤 そうです。でもその見学もよくわからなくて(笑)。その年ちょうどワークショップ的なものがあって、それで学校の様子を見るのを兼ねて、内容も全くわからずに行ったんです。そしたらその時の現代美術の話で、絵を描けなくてもいいとか、うまくなくていいとか、彫刻ができなくてもいいとかいうのを教わって、私はアートに興味あったんですけど、自分には雲の上の世界という感覚だったので、それを松蔭さんが言われた時に、あぁこれ私にもできるかもって思って、はまっちゃって、やりますみたいな。 松蔭 だからそう思わせる授業ですよ(笑)。 桐川 うまい。 松蔭 だから詐欺だよ(笑)。 小澤 (笑)でもあの中で、実際来たの私しかいなかったっていうのが、私には不思議でしょうがなかった。あんな面白かったのに、なんでみんな来ないんだろうって思いましたけど。 松蔭 オレもちょっとがっかりだったけどね。あんなにみんな楽しそうにしていたのに。無料だったからよかったのかみたいな感じだよね(笑)。蓋を開けてみたら誰も来てない。オザキョウだけっていうね。 藤崎 でもみんな最初からいたわけじゃなくてぽろぽろ見学に来て、みんな後から入ってきた。 桐川 最初もっといっぱいいたしね(笑)。 藤崎 いたいた!四人じゃなかった。 松蔭 そうそうこの学年はちょっと立ち直した感じの、ウハウハにどんどん増えていってたよね。七人いて、みんな優秀だったんですよ。ところが諸々の理由で三人来れなくなってね。 桐川 優秀な人が来れなくなっちゃった。 藤崎 社会的エリートが消えた(笑)。 松蔭 勝ち組が(笑)。 藤崎 でも三人がいたのも短いですもんね。夏までだったから。 松蔭 すっと来なくなったもんね。だからこの四人が運命付けられてたんじゃない? 桐川 藤崎 すごい感じるよね。それすごい思っちゃいます。 松蔭 それがありがたいよね。こっちとしてはね。 皆藤 美学校ってそういう出会いが面白いですよね。普通の学校と違って色んな所から色んな人が集まってくる。桐川さんはいかがですか、ヨレヨレの授業でこれが面白かったとかありますか? 桐川 課題はどれも面白かったですね。まずセルフポートレイトがあって、それで夏が終わって。 松蔭 そうそれをクリアしてから会田誠のところに行って海遊びをすると。 桐川 それで九月に写真の授業があって、あれは課題だった?空ともう一つ。空の写真を撮って... 松蔭 何だったっけね? ストーリーを作るみたいな。何を対比させていくか、みたいなやつ。それで佐保(古澤)が写真が上手な人だったから、逆に、「なんで空を撮らなくちゃいけないの」みたいな反抗心をむき出してきて、で裏の裏をかいていくとかね。そういう四種四用の取り組みができる課題だったりだとか。で後半から「キッチュ論」。 皆藤 「キッチュ論」とは? 松蔭 キッチュって何っていう、基本僕は僕で答えをいつも持ってはいるんだけど、それを教科書的にみんなに話すんじゃなくて、考えてきてもらうっていうのが大事だと思っていて、じゃあキッチュって何っていうのを箇条書きにしていきながら、それにマルバツ三角を付けていって、でそれぞれにイメージできる具体的なキッチュを怪獣としてデザインする(笑)。 藤崎 ゴジラの映像とか見たりして。 松蔭 怪獣とかそういう突然変異体っていうのは、往々にして現代美術を考えることとすごい似ている。怪獣には現代が反映されているものが多いからね。公害だったり、今だったらエコだったりと。そういうふうに分析してものを作る事が大事だよという授業です。 桐川 あと女性アーティストとは?というレポートを書いたり。 松蔭 そう。夏休みの課題で「作家論」を出す。僕は僕が影響を受けたマン・レイとかイブ・クラインとかフランスのアバンギャルドのアーティストのことをいくらでもレクチャーできるんだけど、それを一つの目安として、各自一ヶ月ぐらいかけて、現代美術家としての歩み方が素晴らしい人を調べてきてもらって発表してもらう。これも毎年やってますね。誰が誰をやったんだっけ? 藤崎 誰が誰でというのではなくて、アネット・メサジェの展覧会がちょうどやってて、それを見てどう思うか書くみたいなことだったと思います。それから発展していって女性作家ってどうなんだろうねって話になったんだと思います。 小澤 脱力系がいないっていう話をして、女に脱力系がいないのはなんでだろうねって。 松蔭 だから嫌なんだよって言ってね。イライラしないかって言って。そういうふうに考えていくとヨレヨレはものすごく真面目なんですよ。アバンギャルドを追求していながらもアカデミックというか。自分で言うのもなんだけど真面目に一年間やってるなと思うよね。 皆藤 ヨレヨレという言葉からイメージするとふざけた感じでやってるのかなっていうようにも見受けられるんですが。 松蔭 酒でも飲みながらぐだぐだやってるのかと思うと、みんな遅刻もしないしね。どんどん遅刻しなくなるんですようちのクラスは。 桐川 休まなかったもんね。 松蔭 けど毎年そうだよ。昨年だって100%だよ。堅田好太郎くんとか。五分遅刻するっていうだけでもメールくれてたからね。「先生すみません」て。だから昨年から僕も考え方を変えてね。当たり前のことに気づいたんだよ。一時間前には神保町に来ようって決めた。そしたらゆっくりご飯食べれるじゃん。だからほぼ毎週、「いもや」でさ、軽く並んでゆっくりご飯食べても15分ぐらい前には教室に入れるんだよね。そうすると穏やかに授業が始められるという当たり前のことに気づいた。今までの僕の時々の切迫感は、遅刻するかもしれないってギリギリに来てたっていうだけなんだよ。だから創形美術学校の朝九時からの授業でも八時には家を出てね、八時半には職員室に着いてコーヒーを二杯ぐらい飲めるわけよ。そしたらオンタイムで、穏やかになれるっていう当たり前のことに2009年度から気付いたんですよ。 小澤 惜しかった!(四人は2008年度受講) 藤崎 私たち30分前ぐらいから教室にいましたよ。 松蔭 本当にそうだよね。それで後半とか何か仕掛けを作ってたもんね(笑)。オレの誕生日のもあったけど毎回何か仕掛けを作ってるんですよ。 桐川 そう、バレンタインとかもやったよね。 藤崎 ラブレターとかね。 松蔭 ガチンコのラブレターとかね。 藤崎 しかも重たいラブレター。 松蔭 帰ってから読んで下さいみたいな。まあだから、オブジェ、セルフポートレイト、それぞれの作家論、発表、要するに発表の仕方ですね。調べるっていうことも大事だけど、それをいかに言葉と黒板だけで自分の注目する作家について発表できるか。それとキッチュ論ていうのがこの代から新しく始まって、あと料理ね。 藤崎 キッチュ料理! 桐川 「キッチュな格好でキッチュな料理」をする。 松蔭 忘年会でただ作るだけじゃなくてプレゼンテーションをしてもらう。食べれるっていうことを前提に、見栄えがキッチュで……ちょっと、やっぱり具合が悪くなったけどね(笑)。二人ばかしちょっと具合が悪くなったけどね(笑)。 皆藤 !? 藤崎 何かすっごい変なシャツ着てきたりとか。 桐川 なめこに糸通して、出汁~出汁~とか(笑)。 古澤 いっぱいみんななめこ食べたよね。 藤崎 今考えると気持ち悪いけど(笑)。糸通して... 皆藤 では少し話が変わりますが、先ほど倉重さんが映像担当ということでしたが、三田村さんはどのような授業をなさるんでしょうか? 松蔭 三田村さんがまたアカデミックでね。新人アーティストにとって大切なのはファイルを作ることだと。でもファイルを作るためには作品が無いと作れない。だからそのバランスは難しい。彼女たちの時が三田村さん二年目か。三田村さんは時々すごい難解なワークショップをやるんだよね。神保町に出て何かするとか、何かを伝達するとか。彼女の作品そのものなんだけど、そういうことを実際体験できたりだとか。でも基本は今や彼女はファイルの作り方やファイルを添削する赤ペン先生みたいなポジションですかね。 小澤 でもあの横浜の授業はよかったね。 藤崎 横浜にみんなで行って、そこで感じたものを作品にする。それぞれ拾ってくるみたいな。 皆藤 なぜ横浜だったんですか? 藤崎 たまたま黄金町バザールがやってて、あと三田村さんの展覧会がやってて。 松蔭 あの人も忙しいからね。大体彼女の回は教室よりも展覧会場集合みたいな。 桐川 最初の三田村さんの授業も展覧会場集合だったよね。HIGUREで。 松蔭 大体毎年そんな感じだよね。 皆藤 ヨレヨレアートコースの魅力って何でしょうか? 松蔭 ある意味至れり尽くせりだと思うよ。これ以上やってくれって言われても無理ですね。ていうぐらいやってると思うね。て言うとどんだけ自信家かって思われるかもしれないけど、僕の性格ですね。美術ってもっとぶっきらぼうで、自分でなんとかしなさいっていうほったらかしが僕にはできないので、やっぱり学校という名前がついている以上ね。授業料もいただいて、僕自身給料をもらってやっているわけだから。まあやり出したらそんなこと考えてないけどね。だけど僕の性格の気の小ささというか真面目さというか、完璧ではないけど構わないではいられないっていうサービス精神で貫いているので、それは余計なお世話、もしくはもっと構いなさいって言う人もいるかもしれないけど、だから逆にそこは現代美術的じゃないかもしれない。さっきも言ったけど真面目すぎるかもしれないし、時々厳しすぎるかもしれないんだけど、それはすべて「サービス」ですね。サービスにあふれたコースだと思います。 皆藤 師弟制度まではいかないけれど、それぐらい親身になる? 松蔭 そうですね。まず人間関係ですね。 皆藤 今のお話を聞いていていかがでしょうか?本当によくしてくれたとか、実際はこうじゃないとか? 桐川 何から話していいかな。 藤崎 うーん... 松蔭 家で考える時間あったでしょうが(笑)、ここに来るまでに。 皆藤 では話題を少し変えましてなぜ純血四姉妹というユニットを組むことになったのかお伺いしてもよろしいでしょうか? 藤崎 あれは最初四人でお見合いをしたいとか言ってて。チバトリの時に。私たちお見合いしたんですよねみたいな話をしてて、それからなんで作品を作ろうっていうことになったんだかわからないんだけど。 桐川 そうなんだよね。だってその時は三田村さんも私もとか言ってたもんね(笑)。 松蔭 だからその件に関しては卒制とか授業とか関係なく、アフターアワーのレクリエーションとしてどうぞっていう感じで、オレは介在できないねみたいな感じだったんだよ。 桐川 その時にみんなで先生に言いに行ったよね。私たちお見合いしたいんですって。 藤崎 誰かいい人紹介して下さいって(笑)。でそれを映像に撮るって言って。 桐川 そうそう。本当ノリで始まったみたいな感じだよね。 皆藤 それがあの卒制の映像作品につながっていくわけですね。あれすごいよく撮れてるなって思いました。 松蔭 あれも初めてなのにね。スキルが上がっていくっていうか、あまり好きな言葉ではないけどモチベーションが完成度に繋がっていくっていうね。映像の編集とか撮影とか初めてだったからね。 藤崎 その辺は迅さんに毎回聞きながら、細かく細かくやっていって。 皆藤 最初あの映像を見た時に、映像作品作るの初めてだったって聞いてすごいびっくりして、こんなにちゃんとしたものができるんだ、ここまでやってるんだと思いました。 松蔭 しかも普段仕事をしながらだからね。 藤崎 毎回異常なテンションでやってたよね。毎週会ってロケーション行って。 桐川 打ち合わせも授業以外にも何時間もやって。 藤崎 死ぬ程したよね。 桐川 死ぬ程してた(笑)。飲みながら。 藤崎 それで途中恋愛の話ばっかりしてて全然進まなくて(笑)。 古澤 コイバナばっかりして。今もそうだけど。 藤崎 でもその女の子のガールズトークそのものをやりたいって思ってて、作品にしたかったんです。その軽薄さみたいなものをやりたくて、バカバカしいけど怖いみたいな女の子のアートをやりたくてやったんです。 小澤 私たちらしさというか。初めに松蔭さんもおっしゃいましたけど四人女って、端から見ても私たちから見ても何かあるんじゃないのみたいな気がするのに、なぜかタイプが違うからか本当に合ったんですよ四人が。だから四人で作品作りたいっていうのも自然の成りゆきだったっていうか。だからそれだけ会って毎回熱くしゃべって作ったっていうのもあったし。 桐川 基本的にみんなこう見えても真面目だから(笑)。やるってなったら本当にみんなやるんだよね。 藤崎 自分たちの作品を作りつつ全く別の世界でっていう感じで。 皆藤 今年の卒展で堅田くんとか見ててもちゃんと熱意を持って作品を作ってるなって思います。 松蔭 堅田は放っておいてもできたとも思うんですけど、ただ堅田みたいのはある典型でね。モチベーションとか志は高いんだけど造形力とかフィニッシュに至るまでの最終的な落としこみをどうしていいかわからない。これはもうよくありがちなことだと思う。それを僕たち経験者がどうナビゲートしていくかで、作品が全然違ったものになったりするんですよ。だから堅田くんみたいな人が美学校に来るとたった一年でずば抜けて変わる。2007年度の高田冬彦も僕が受け持った中で最年少の19才で、予備校に通いながら美学校に来るという、それも新しいタイプだったけど、芸大の先端に行くのはいかがなものかと、僕だけじゃなく色んな諸先輩方に言われて、結局造形大学を受験してしかも写真学科。もともと絵を描いていた人間が。だから僕の影響なんだなって責任感じたけど。だから一年僕と関わったこと、僕にも印象深いしそういう学生は。学生たちもそれがきっかけで変わっていくっていうね。こうやってユニットができたりしているわけだし。何もチンポムだけじゃないよっていう。会田くんだけじゃないよっていう。結果僕自身の自信にもつながっていくので。美学校が自分にフィットしているなんて一度も思ったこと無いんだけど、気がつけば一番長く関わってきた人になりつつあるし、居心地が悪いわけじゃないしね。それだけじゃなくてたった一年の付き合いなのに、みんながその後も頑張っているところがうれしいですね。 皆藤 堅田くんとか四姉妹を見ていて思うのですが、それぞれの個性が出ていて面白いなって思って、キャラって言うと語弊があるかもしれないですけど、一年間の授業ですけど個人の魅力が引き出されているなと修了展を見ていて思います。 松蔭 だってキャラ勝ちでしょ。キャラ大事だよ。 藤崎 でもそれは自分ではわかってなくても授業受けることによって何か発見したりだとか、課題を与えられたりすることによりキャラが段々わかってきたりだとか、人に言われてキャラを作っていくっていうのもあると思うし。 桐川 だって松蔭さんの授業は前半はほとんど自己紹介で、自分が何を持っているのかというのを引き出すというか、それに特化している感じでしたよね。 松蔭 だって人生は自己紹介の連続だもん。気がついたらもう44年生きていてさ、一番書いてるのって自分の名前と電話番号と住所じゃん。何に入会するのでもまずそれ書かないといけないし、一歩横町曲がる、飛行機乗る、そうしたらまた自己紹介をしなきゃいけない、また自分の名前書かないといけない。もうそれは何人たりとも続けざるをえないことじゃない。だったらそれをより面白くやって、この人大した人生じゃないけど語り口が面白いねとかね。それで充分キャラクターというか印象は作れると思うんだよ。 皆藤 印象に残るって重要ですもんね。 松蔭 そうそう。やっぱり名刺を交換するだけじゃなくて、そこにオリジナリティを持つということは大事ですよね。 皆藤 松蔭さんて美学校は2003年からでしたっけ? 松蔭 最初は2000年の春なんですよ。2000年の小沢剛くんの「トンチキアート」のサポートで入ったのが最初ですね。ちょうど10年ですね。 皆藤 最初に美学校に来たときの印象はどういうものでしたか? 松蔭 それも『彷書月刊』に書いてますよ。「時間の止まったような懐かしさ。怪しい香りを漂わせた文人たちのアジトなんて言うことも出来るけれど、もう、最初っから終わっているというか、追いついていないというか」(笑) 藤崎 10年前から(笑)。 松蔭 「いや、はっきり、やっぱりボロいのだ。厚手の大きな合板を白ペンキで塗りたくったのが、五、六枚、同じく合板で作られた直方体の黒箱を並べた足に、デデデーンと乗っけられている。それに絵の具やら、微量の落書きやら、無数の傷だのが刻まれて、年月を感じさせるに充分であり、『ああ、ここには金がないのだな』と、即座に察することが出来る。」(笑)。でもここからだよ、「ただ、雑然としているようで整然として、汚れているようでそうでもない、何故だか、馬鹿がつくほど正直で、無頼な、美しい魂を宿したような空間に感じられるというと大袈裟だが、初見で愛着がわいた(それは十年を過ごした今でも変わらない)。」と書いてますね。いい文章だねこうやって読むと(笑)。 皆藤 その『彷書月刊』の特集おもしろいですよね。美学校の講師の方々が書かれていて、松蔭さんももちろんそうですし。 松蔭 会田くんと被らないようにって思ってさ。そんなこと考えなくても被らないですけどね。会田くんなんかいいよねインタビューで同じお金もらって(笑)。俺なんて二週間ぐらいかけて書いたもんね。泣きながら。 皆藤 十年経っていかがですか?美学校って学校っていうより色んな人が集まってくる場だと思うんですが? 松蔭 最高だと思うけどね。最高っていう言い方はどうかな。いやでもね、もったいないよね、もっと色んな人に知ってほしいよね。 藤崎 でも生徒側からするとあんまり多くいてもね。 皆藤 これぐらい四、五人ぐらいでもちょうどいいですよね。 松蔭 四人はほしいね。二人は辛かったね。基本二人が続いてるんですよ。ヨレヨレやる前に僕は宇治野宗輝とゴージャラスっていうグループ名義で講座を持っていて、それが「肉体塾」っていう名前で、名前がよくなかったと思うんだけど。2002年から受け持った火曜日のコースだったね。 桐川 哲雄くんはそこにいたんですよね。 松蔭 木村哲雄は肉体塾の最終生。2005年度で、男三人だった。 桐川 哲雄くんが肉体塾っていうのも笑えるよね。 皆藤 似合ってますけどね(笑)。 松蔭 「ただ」っていって、池田晶紀の下でバリバリアシスタントやってる、オレのアシスタントを経てイケのところ行ってるんだけど。それと舛田健太郎って、今カナダに留学しててメールでたまにやりとりしてますけど、その通称マスケンのね、制作に対するストイックさと卒業制作展でのパフォーマンスというか発表が、明らかに美学校の流れを変えた。本当に流れを変えた。あそこから面白くなったんですよ。美学校の「現代美術演習」が。それまでは教える講師陣たちも学生たちも何か暗中模索みたいのが続いてた気がするんだけど、どう考えてもマスケンが運んできた空気っていうか、不器用なんだけど印象に残るし、あれ以降僕らも自信がついた感じがするんだよね。ここで何も無くても、無駄にでかい年季の入ったテーブルしかないところで現代美術の営みができる。これはみんな言ってますね、あの時の舛田健太郎を知っている人は。あの年は宇治野が半年やって、松蔭が後期の半年をやる……オレと宇治野があまり交わらなくなった時期でもあって、それで最後の年になっちゃったんだけど、宇治野の授業を半年受けた彼ら男三人を預かって、木村哲雄は具合が悪かったんで、来るんだけど二人相手に授業やってるようなもんだよ。スゴイよ、あの年は、結局何にもやらなかったのよ、授業らしいこと、半年間。ただ男同士でしゃべるっていう授業だった。それで飲みに行くっていう。でもあれだけ印象深い卒業制作展になったからね。それは各自がライフワークに取り組んだ、だから課題は出さない。その時その週のマイブームについて語り合うみたいな。 皆藤 その卒業制作展はどういうものだったんですか? 松蔭 舛田健太郎くんは、宇治野直系的でもあるかな、音がするオブジェっていうか、サウンドスカルプチャーをインダストリアルな感じでね。簡単に言うと、沸騰するとピーって鳴るケトル、やかん、あれなんですけどね。でももっと密閉型の鉄のタンクをヤフオクで落としてきたりしたやつを、毎週ガスコンロで熱するわけだ。それでバルブを溶接して付けたりしたやつから色んな音がする。仕舞いにはこんなでっかいボイラータンクを買ってきて、美学校名物のガスストーブの上にドンと置いて、爆発する可能性のある危険なことを日々実験してましたよね。それを「ただ」くんが撮影するみたいな。だから見てくれは小汚いんだけどそういう男らしいスチームマシン。「ただ」くんは、僕はずっと彼の写真にダメだししてたんで、デッサンと同じことを続けさせようと思って、「トイレットペーパーを撮ってこい」って言って、毎週彼が何らかの形でトイレットペーパーを撮ってくるわけよ。そこの暗室でいっつもギリギリまでプリントアウトして、「違う違うこういうことじゃない、もっと考えてこい」と言う。用はトイレットペーパーの質感を出したりだとか、陰影を出したりだとか、単純ゆえに難しい。で結局「ただ」くんは、それを経て何かを作るということを止めて、今まで撮ってきたトイレットペーパーをずーっとプリントしては壁に貼るというパフォーマティブなトイレットペーパー写真インスタレーションをした。あれも良かったなぁ。 皆藤 お話を聞いていて見てみたくなりますもんね。 松蔭 素晴らしい展覧会だったよ。男二人のね。木村くんは体力的精神的な問題もあり、会場にはいたけど出展せずと。 藤崎 でも最近すっかり元気になりましたよね。 松蔭 元気すぎて困るね(笑)。ウザいぞって言って怒ってるよ(笑)。 藤崎 多分色んな所で怒られてるんでしょうね。 皆藤 純血四姉妹のみなさんは美学校の魅力って何だと思われますか? 藤崎 何も知らなくて入ってきても遮断される感じは無く、一から教えてもらえるっていうところ。変に格好付けたりとかしなくてすむ。知ってるふりとかしてたら全然学べないけど、そういうものが一切無いっていうか。何も知りませんって言って入れるところとか、専門学校とは違うし。 皆藤 入学試験も無いですからね。 藤崎 年齢もみんなバラバラだし、そういう人とも出会えるのも魅力だと思います。 古澤 何か生のことが聞ける。アーティスト、松蔭さんの生の声とか、今起こっていることとかの話がすごい近くで聞ける。本当だったら聞けないようなことが直で聞ける。 松蔭 ほとんどが愚痴なんですけどね(笑)。美術界とか社会に対しての愚痴を二時間以上は語ってるからね(笑)。 小澤 色んなところに連れて行ってくれたしね。他にはないんじゃないかな。 桐川 私は美大に行ってたことがあるんだけど、美大よりも実践的だし、今佐保ちゃんが言ったみたいに生の声が聞こえるっていうのもあるし、あと今まで何やってたのかなって最初思いましたね。美大とか行って、入るためにデッサンとかしてたのは、社会出てから何の意味も無いってわかったんだけど、本当意味なかったなって(笑)。 松蔭 そこまで言う(笑)。 皆藤 何か美学校って大学でいったらゼミじゃないですか。でもゼミとも何か違うんですよね。濃度が違うというか。 藤崎 あんまり先生と生徒という感じもしないし。 松蔭 あと、美学校に愛着を持った人ってさ、エバーグリーンだね。皆藤氏もそうだけど何か老けないよね。まあ成長しないのかもしれないけど。これも肉体塾の卒業生で、略歴を見たら嬉しいことに「松蔭浩之に師事」って書いてくれててちょっと小恥ずかしいんだけど。クドウヒロミね。クドウなんて何年美学校うろうろしてるよ? 皆藤 相当長いですよね。 松蔭 もともと版画をやってるべっぴんさんだったのが、気がついたら次の年に肉体塾に来て、僕らもまだコースを持ったばっかりで、本当に手探りの授業だったんですけど。確実に彼女は成長していったし、美学校に来なくても彼女は表現するメディア、ライブやったり展覧会やったりとか出来たと思うんだけど、何が言いたいかっていうと彼女も老けないよね。 皆藤 けど僕も最初会ったときの印象は若々しいなと、こう言うと逆に失礼かもしれないですけど。 松蔭 いやいや大事なことだと思うよ。朽ちないというかね。精神的にどこか不安定なところがあっても元気っていう。 皆藤 何なんでしょう。よくよく考えると不思議ですね。 松蔭 だってあの子だって美学校に来たのは一般の大学出てその後だからね。 皆藤 最後の質問に移らせていただきます。美学校に興味あるなとか来たいなと思っている人に一言ずつメッセージをいただけますでしょうか? 桐川 とにかく一回遊びに来ればって思う。来たらわかるよみたいな(笑)。 松蔭 いいね。大人な意見だね。 桐川 直感でわかる人はわかると思う。 藤崎 合う人は合うし合わない人は合わないし。 小澤 迷ってるぐらいなら来なさいって感じだよね。 松蔭 毎年この時期ってね。僕以上に藤川代表が一番心痛というか。 皆藤 この時期怖くて話しかけられないですもん(笑)。 古澤 最初入る時すごい迷ってあそこでずっと座ってた。一回見に来てもう一回藤川さんに電話したら、優しく誰でもいいんだよって言われて、本当ですかって言って、来てみたものの、あそこの大原のところのベンチでずっとどうしようかなって一時間ぐらいいて、寒くなったから入ってきた。そうしたら藤川さんが色々説明してくれて、アートの話から色んな話をしてくれて、じゃあ見学してみようかなって。 皆藤 僕も初めて来た時すごく緊張して。この建物じゃないですか。階段上ってきて何だここはみたいな。 松蔭 そうかやっぱり緊張するかな。 藤崎 うち親が大丈夫?ここでって言ってましたよ。 皆藤 でもその緊張の向こうに広がっていた世界って、今思うとすごく面白かったですし。 松蔭 結果そうであってくれたら嬉しいけどね。美学校の中で特にこのヨレヨレは、てゆーか僕は、ある評論家に言われたんだけど、村上隆や会田くんみたいに戦略家―大体現代美術って戦略家の勝ちじゃない―その中にニューヨークの留学とかも含まれてたりして、で僕って何にもないんですよ。たまたま若い時にラッキーというかヴェネツィアビエンナーレ世界最年少とかあってもね。それは僕が目論んでやったことではないから。たまたまラッキーだったんですよ。それが表すように評論家にね、「それでも松蔭浩之っていうのが何らかの形で現代美術に石を投じてしまうのは、戦略家ではなく戦術家だからである。」と。生きる術とか、表現する術を持ってる古いタイプのアーティストみたいなことを書かれたことがあって。でもまさに美学校自体がそうじゃないかと思うんだよね。藤川代表がもっと戦略家ならば、こうじゃないはずだし(笑)。 皆藤 確かに藤川さん戦略は無いけど戦術はありそうですもんね。 松蔭 何かしぶとくね。きれい好きだったりとかさ。美学校ってやっぱり清潔だと思いますよ。 藤崎 汚い感じしませんよね。 松蔭 古いだけで。ここで三日三晩寝てみろって言われたって怖くないし。 藤崎 怖いですよ。 松蔭 黒いソファー最高だよ。 桐川 怖いものはいそうな感じですよね。 松蔭 キリはそういうの好きだからでしょ。そういうのを見ようとするから(笑)。いやだから戦略が無いから呼び込みも難しいんですよね。ただそれを変に欲を出して、戦略家たらしめんとみんなが結束し始めると美学校の良さが薄れていくのかもしれないしね。 藤崎 本当に来てよかったと思う。ていうことだと思うんですよね。これから来ようとしている人に言うとしたら。 松蔭 みんながそう言ってくれるんならみんなは正に戦術を覚えたと思うんだよね。生きる術とか戦う術とか、もっと平たく言うとプレゼンテーションね。作って人に見せていく、作って自分を紹介していくっていう術をたった一年だけど身につけた。それはO Jun先生のところでもそうだと思うし、それが美学校の特質だと思うね。 皆藤 大学って四年ですけど美学校って一年じゃないですか。一年で完結させなければいけない。そこも大学とかとは違うところだなと思っていて、藤川さんなんかは逆に四年ぐらい美学校にいてほしいとおっしゃってるんですね。二年三年かけた方が見えてくると言いますか。 松蔭 僕はもう十年もいるから最近は耳にしないんだけど、最初に藤川さんが口癖のように言うのが、「最低でも三年やってみないとわからないのさ」。どこに根拠があるかわからないことをすべての講師や学生に語るんだよね。で、僕は三年どころかね。何年、ここにいるんだ?いまや、大家を心配して引っ越しできずにいる賃借人のような気分のみで、ここに居残っているような気もするよ。クドウなんかそうだと思う。心配なんだよね。 小澤 でも出会いなんですよね。本当にこの美学校は。この出会いが無かったらすごい人生変わってたんじゃないかって、人生変わった貴重な出会い。 皆藤 みんなそこは共通してますよね。僕も最初は生徒で入ってきたんですけど、今はなぜか広報ボランティアやってるっていう(笑)。 松蔭 最初は何に入ってきたの? 皆藤 一番最初は内海信彦さんの絵画表現研究室で、そこに二年いて、翌年翌々年は受講はしないけど内海さんのクラスには顔出すみたいな感じで、次の年に中ザワヒデキさんの文献研究に出まして、それも藤川さんに何か面白いことないですかって聞いたら、じゃあお前これ入れって言われて、じゃあはい、みたいな感じなんですけどそれがすごく面白くて、それで去年からシルクスクリーン工房に入って、で僕がシルクの工房入る前に美学校に広報室が立ち上がりまして、今に至るという感じです。 松蔭 でも戦術を持つっていうキーワードを、特化させて言ってもいいと思いますよ。戦略だけでも何かできるかもしれないけど、僕はそれはアートではないと思うので、やっぱりたった一人の人間が不器用でも何かこう人を面白がらせる、びっくりさせるものを作る術をまず身につけましょうっていう意味でのアカデミックな姿勢が美学校にはある。 皆藤 本日はみなさん本当にありがとうございました。 松蔭さんは九月に市ヶ谷田町のミヅマアートギャラリーで新作展、純血四姉妹は十月に場所は未定ですが展覧会を開催する予定だそうなのでみなさん是非お越し下さい。
|
検索 |